日めくり汀女俳句 №24 [ことだま五七五]
十二月十五日~十二月十七日
句 中村汀女
文 中村一枝
十二月十五日
枯蔓(かれづる)の引きのこりたる虚空かな
『薔薇粧ふ』 枯蔓=冬
いつも犬の散歩道にしている静かな住宅街の細い道に、警官が立っていた。何でこんな所にと思い、先へ行くと私服の刑事らしいのが四、五人。すわ何事とおばさんは色めき立った。
次の日、テレビのニュースも出て、たちまち奥さんたちも知るところ。オウムの元幹部がこの辺に引っ越してきた。その騒ぎと知れた。小学校は集団登下校するとか、署名運動を起こすとか、あっという間のつむじ風。その場所と目と鼻の先に父が「人生劇場」を執筆した旧居跡がある。七十年たった今、もう少しましなことで知られてほしかった。
十二月十六日
毛皮店鏡の裏に毛皮なし
『春雪』 毛皮=冬
毛皮のコート一枚も持っていない。経済的な理由も一つだが、あまり好きでない。同じように、宝石にも関心がない。私が気がついた時、汀女も指に一つも指輪をはめていなかった。何もはめていない指が、とても清々しく美しかった。心に宝石を持っている人は何もまとう必要はない、なんてキザなことを思ったりした。
指輪は嫌いだが、イヤリングは好き。夜店で買った五百円の小さいガラス玉を耳につけていると、「すてきなダイヤ」と言われた。私はえっと思い、以来それに決めた。
十二月十七日
夫(つま)と子をふっつり忘れ懐手
『春雪』 懐手=冬
この句を見ていて思うことがある。汀女はふっつりと忘れることができるタイプだったのだろうか、それとも、そうやって宣言しないとぐずぐずと糸を引いてしまう方だったのだろうか。
私は汀女は切り替えのすぱっといく女性だったと思う。だからこそいくらかの後ろめたさをこめたおもいが、いい句になったのだろう。
女は誰しも、時に一人の気ままな存在になってみたいという、ひそかな野望?を抱きながら、家事をしているのかも知れない。
「これは面白いですね」と虚子が柔和な笑顔で、直接ほめてくれたそうである。
『ィめくり汀女俳句』邑書林
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