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浜田山通信 №81 [雑木林の四季]

マンション水害

                                       ジャーナリスト  野村勝美

 今月は永田町での党首だか総裁選がうるさい。老生としては誰がなろうが、その先の総選挙で何が起ころうが、もうどうでもよい心境で、とにかくこれ以上国家主義的、ファシズム的勢力が出てこないことを願うだけだ。
 そんなことよりこの一ヶ月私を悩ませたのは我が家を襲った災害である。8月14日夜、リビングの天井から水が落ち出し、あわててバケツやタライを並べたが、まに合わない。わがマンションは3LDKで他の部屋もみて回ったが6畳の和室以外は、浴室も含めてすべてやられていた。
 原因は、和室の上階が2階住宅のベランダで植木鉢の水やりの水道栓を閉め忘れ出かけたため。排水溝が落ち葉などでふさがりあふれた水が室内に流れ込み、我が家との境のコンクリ面を通して落ちてきたものらしい。
 ベランダはしっかり防水されていてすぐ下の和室だけは被害をまぬがれたが、当夜は翌日10時頃水が止まるまで徹夜になった。以来室内の後片付けが大変。水をかぶったフトン類を丸洗いに出したり、衣類を始末したり。妻が死んでから1年9カ月、遺品整理などやる気にもならず放ったらかしだったが、これを機会に全部きれいにしようという気になったのが果たしてよかったのかわるかったのか。
 子供たちも遠くから助太刀にきてくれたが、結婚56年間にため込んだ衣類は半端じゃない。私たちの世代は、戦争と空襲で無一物になり、戦後はわずかに残った着物を食料と物々交換する体験を持っている。昔は一枚の浴衣が着古したあと赤ちゃんのおむつになったり雑巾にしたりした。雑誌記者時代、有吉佐和子さんにインタビューし、彼女が「女優さんは舞台衣装を何枚着替えるかで出演を決めるのよ。着物は女優にとって自分の肌と同じなの」といったのに感心したことがあるが、どうやら女の人はファッションや装飾品に入れ込む属性を持っているものらしい。貧乏生活が続いたので、ブランドものなどは一点もなかったが衣類は山ほどあった。昔は形見分けがあり、子どもや兄弟姉妹が争って分け合ったが、いまは誰一人振り向きもしない。手伝いにきた娘がミカン箱大30コ分の衣類をひきとったが、ほとんどは再び着られることもなく何年か後に孫たちによってゴミに出されることだろう。私がゴミ処分したのは50~70リットルの大きなビニール袋で50コもあったか。経済の高度成長とはぼう大なゴミを生産したこと。断捨離などとこざかしいことをいっても成長による環境破壊はとめようがない。
 地元の区議木梨もりよしさんが毎年バザーをやり、昨年は552800円を区の障害者団体連合会に寄付したとのチラシが投函されていたが、近頃はガレージセールの類もめっきりなくなった。毎日違う洋服や靴や帽子で出かけるなどということはもうやめるべき、などと言っても始まらない。


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