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浦安の風 №50 [雑木林の四季]

 “感謝”ということ

                                        ソーシャル・オブザーヴァ―  横山貞利

 冒頭から私的なことで申し訳ないが、わたしの古い友人に歌手の中野慶子さん(NHKの初代・歌のおねえさん=眞里ヨシコさんと共に)がいる。彼女とは小学校(4年~6年)そして高校(1年)で同級であったから、もう60数年の付き合いになる。先日、彼女のメイルに要件の後「・・・今日一日無事に過ごせました。また、明日もいい日でありますように」と書かれているのを読んで、一瞬わたしの内部で電気が走ったような気がして「ああ、これだ!」と思った。彼女は、敬虔なクリスチャンであり、現在もボランティアで童謡や唱歌を歌う活動をしている程だから、常日頃から「神の下で生かされている」という「感謝のこころ」を肌身で感じているだろう。しかし、わたしのような信仰をもたない人間にとっては、「生かされている」というような「感謝のこころ」など持ち合わせている訳でもなく、ただ何となく生きているに過ぎないから、彼女のメッセージに突き動かされた思いがした。
 実は、こうした「感謝のこころ」こそ、現代人が最も忘れてしまっていることではないだろうか。
 わたしたちは、なんの躊躇いもなく、当たり前のこととして日常を過ごしているけれども、「いま、ここに生きている」ことについて「感謝のこころ」など確認することもなく、時の過ぎゆくままに日常生活をおくっている。しかし、わたしたちは、自分ひとりの力ですべてが成り立っていると思っているのだが、米粒一つにしても、農民の汗の結晶であり、自然の恩恵の賜物であることなど考えもしないから、当然「感謝のこころ」など持ち得る筈もない。

 わたしたちが、もし「生かされている」と認識した場合には、それは、可成アミニズム的な「神」または「天」であって、「神」と「天」はほぼ同一と認識しているのだろう。
夏目漱石が晩年に至って「則天去私」という諦念に達したということは、ほぼ高校時代までには覚えてしまっているだろうが、この「則天去私」について文字面で読み流していて、その本質の意味について深く考えている人は極少ないだろう。広辞苑には
 「小さな私を去って自然にゆだねて生きること。宗教的な悟りを意味すると考えられている」と明示されている。こうした見方・考え方は、わたしたちが一般的に考えていることと一致している。しかし、漱石は別にして、わたしたちは、そこから「天」への「感謝のこころ」にまで到達できないのではないだろか。
 そもそも、「天」という概念は、周の時代(BC1000年~350年ころ)を中心にして確立されたようで、「天」とは主宰、命運、道義、自然法則などを含めた概念として確立されたようである。従って、皇帝権の正当性は「天命」に基づくということになるし、民は「天」の民であって朝廷(国家)の民ではない。また、人間の道徳性、自然の変化も「天」によって生じるものと考えられていたようである。孔子や孟子の思想は当然のことであるし、近代でも孫文が「天」を用いている。また、福沢諭吉は「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ、人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ・・・」(学問のすすめ)のように「天」を用いている。
 今日、わたしたちは何かの折に「これも“天”の思し召しだ」とか「これは天命だ」という言葉を発する。それは無意識の裡に「感謝のこころ」を表白しているのだろう。だからといって日常生活において「生かされている」ことへの「感謝のこころ」に結びつくとは言えないだろう。余程、大病を患って奇跡的に恢復した時に、初めて「生かされている」ことを認識するのではないだろうか。
 これは「神」についても言えることであろう。前述したように非常にアミニにズム的ではあるが、古代以来「生きとし生けるものに“神”がやどる」という風に考えてきた。例えば、個人の住宅であろうと超高層ビルであらうと必ず「地鎮祭」を行い“地の神”を鎮める。また、伊勢神宮の式年で樹齢300年の檜を伐る場合には、その木に注連縄をはり米や酒を捧げて祝詞をあげ榊を捧げる儀式を行って木の魂鎮めを終えてから斧を入れる。こうした古来からの儀式にあっては「神」がやどっていることを意識していて初めて成立し「感謝のこころ」を尽くして行われるのであろう。
 こうした儀式は、わたしたちの先祖から脈々と受け継がれてきているアミニズムの原初のかたちを踏襲してきたのである。それは、自然に対する敬虔な祈りであり、自然と調和して生きてきた日本人の“こころ”でもある。

 このようにみてくると「天」ということも「神」ということも一体のものとして受け継がれてきた「日本人のかたち」としか言いようがない。しかし、そうした考え方や行為は、何か事があった場合にのみ顕在化するのであって、必ずしも日常生活の一部始終にわたって直接結びついている訳ではない。
 わたしが、「神」とか「天」ということを本気に考え出したのは「レインボー エージ ネットワーク(RAN)」という高齢者の交遊の場を立ち上げたことと無関係ではない。現代社会では、個がバラバラになっていて孤立して生きていかざるをえない状況の中で、少しでも「こころの平和な時」を共有できないかと考えているうちに、わたしたちが普段忘れている「人間は一人ひとりの繋がりで生きられる」という原初の“かたち”を取り戻すことに相通じていると思ったとき「天」とか「神」といことを考えはじめたように思う。
 とは言っても毎日「きょうも生きられた」などと考えている訳でもないから、あまりにも不遜であり「天」や「神」を冒瀆しかねないことにもなる。それこそ「則天去私」の境地にでも達しない限り血肉とは成り得ないだろう。

 多分、「生かされている」いう“感謝”の境地を追求することは、死ぬときまで、わたしに課せられた大命題なのかもしれない、と思う。


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