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浜田山通信 №79 [雑木林の四季]

出雲大社教

                                  ジャーナリスト  野村勝美

 猛暑の中、毎日毎日ロンドン五輪でご苦労さまでした。おかげで8月恒例のヒロシマ・ナガサキ・終戦特集などはすっかり霞んでしまい、我等戦争を知る世代としてはある種諦観のような感じを持つことになった。さりながら世界中のアスリートが体力と技術を競い合う平和の祭典はけっこうなことでもあった。
 オリンピックには何の関係ないが、ことしは古事記編纂1300年である。私は評論家戸井田道三先生の所に入りしていたので、TBS新井知子さん、筑摩書房中川道子さんらと古事記研究会や本居宣長研究会をやったことがある。もとは世界の神話研究ブームがあり、日本のも読んでみようかというので始まったことだが、何一つモノにならなかった。戦前の教科書には天の岩戸や天孫降臨、イナバノシロウサギ、ヤマタノオロチなどの神話がのっていて、物語に親しむきっかけになったが、敗戦後は神話時代は歴史教科書から消えたようだ。
 古事記は正史である日本書紀よりはやや早く編纂され神代がくわしい。上中下三巻あるが上巻の4分の1ほどは出雲神話である。
 出雲はおもしろい所である。記紀と同時期に編纂された各国風土記の中で唯一完本が残っているのが出雲風土記。戸井田先生は平凡社の「歴史と文学の旅」シリーズの「出雲風土記」を担当し、1回だけ取材旅行のお伴をしたことがあった。昭和49年だからもう40年近くも前のことだ。米子空港から能義神社、神魂神社、熊野神社、八重垣神社。玉造神社、朝山神社、美保神社、佐太神社、そして出雲大社。ほとんど神有国出雲ゆえ神社ばかりだったが、こんなに楽しくおもしろい旅行はなかった。その後は2回出雲を旅した。67年前の戦争のことさえ、あやふやになっているのだから1300年昔のことかすべて当てずっぽうである。でも出雲は果てしなく私たちの好奇心をかきたてる。
 出雲大社教という神道の一派がある。明治6年に大社の敬神講が組織され、千家尊福という人が教祖。全国に百万人の信徒がおり、教会も各地にあった。浜田山にも戦前から「出雲大社教豊玉教会」があり、いまもある。メインロード商店会から井の頭通りを突き抜けた袋小路の奧で、いまは安藤早全氏が教祖を勤めている。戦前は大変に繁盛し、お祭りには水道道路沿いに屋台が並び、早全氏の祖父の安藤佐太郎さんが、火渡りをしたり、刀の梯子登りをして大賑わいだったという。祈祷や方除け、お祓いなどもやりいまも語り草になっている。佐太郎家は、浜田山随一の地主安藤和夫家の分家で、昔は五日市街道まで地所があったという。七月初め早全氏の弟昌光さん夫人が亡くなった。2人とも話好きで私たち他所者を親切に受け入れてくれた。


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