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球磨焼酎二十九面相№3 [雑木林の四季]

球磨焼酎二十九面相 №3
球磨焼酎(株)   〔主要銘柄〕 球磨焼酎 米倶楽部 四季の詩
                                              人吉市麓町5・1 ℡0966-22-6930
 
                                   「くまもとの旅」編集長  末吉駿一

団結パワーで生まれた統一銘柄
 人吉・球磨地方はこじんまりとした”独立王国“の趣がある。このエリア内に現在焼酎メーカーは二十九を数える。かなりの密度だ。さぞやライバル意識も臓烈と思われがちだが、そこは競争と協調のバランスがうまく取れ、それぞれが独自色を打ち出しながら共存の関係にある。その異体的な表れが球磨焼酎株式会社。全メーカーが共同出資、共同参加して設立された。業界の協力、団結という点でまれなケースといえる。

協業化で全国進出
 球磨焼酎(株)が発足したのは昭和三十七年のこと。母体となったのは球磨焼酎酒造組合だった。歴史は古く、すでに大正十二年には同様の組合ができており、幾多の変遷を経ながらも結束は続いてきた。
 この結束をバネに人吉・球磨の焼酎から全国ブランドの球磨焼酎へ打って出ようという機運が盛り上がった。やはりエリア内だけの生産・販売だけでは限界がある。といって、単独での進出は難しい。多くのメーカーが家業として地域に溶け込んで長い歴史を育んできた。そこが球磨焼酎のよさであり、伝統の味を守り続けてきた大きな要因であったが、一方でパワー不足といった側面は否めなかった。
 「協業化しかないということは誰もが分かっていました。しかし、これは言うは易しく行うは難しです。当時の理事長はじめ前原豊前専務、役員の方々のご苦労は大変なものだったと聞いております。それが最終的には全メーカー参加という喜ばしい結果になったのは、球磨焼酎の灯を消していけないという各メーカーさんの”蔵元魂“とでもいうべきものだったと思います」と語るのは有尾一教現専務。
 そうした熱意から発揮された団結パワーが協業化を阻む様々な壁を乗り越えて、共同瓶詰、共同出荷、統一銘柄「球磨焼酎」 の新会社を誕生させた。鹿児島のイモ焼酎にも似たような会社があることはある。しかし、それは数社の集まりだが、球磨焼酎は全メーカーの結集。この点が大きく違う。

"打撃の神様"のCM出演
 いよいよ球磨焼酎会社の全国展開が始まった。四十二年には拠点となる東京出張所も東京銀座の銀座熊本館内にオープンした。と書けば、大変景気がいいような話だが、実際は悪戦苦闘の始まりだった。
 昭和四十四年から平成八年まで東京出張所に勤務し、”先兵役“を務めた田渕浩臣常務は「地元と都会のギャップというものを痛いほど感じました」と振り返る。「球磨焼酎がどうのこうのというより飲んでくれないのですから話になりません」
 これはちょっとつらい。田渕常務としては球磨焼酎の特徴やおいしい飲み方、さらには人吉・球磨の風土性といったことをPRするつもりであったはずなのに、試飲会を開いてもコーナーをよけて通る人が多かったという。今でこそ信じられないが、当時、焼酎といえば戦後のカストリ焼酎に代表されるような下等なアルコールというイメージは非常に根強いものがあった。
 だから、PR作戦といっても「一口でも口に含んでもらいたい」というささやかというか涙ぐましい呼びかけからの出発だった。少しでも人の目にふれるようにと、デパートを中心にした試飲会がこつこつと続けられていった。
 そうした実情を察して、手を差し伸べてくれた郷土の偉大な先輩がいた。打撃の神様・川上哲治氏である。45年から46年にかけて川上氏が登場したテレビCMは球磨焼酎の知名度アップにつながった。
野球でいえば最強の四番バッターの起用といったところだろう。出演交渉に当たったのも田渕常務だった。川上氏は巨人軍監督になったばかりであり、また巨人軍の不文律で酒やたばこなどのCMは青少年に悪影響を与えるということで認められなかった。それを友情出演のノーギャラ同然で川上氏は引き受けてくれた。「涙がでるほどうれしかった」と田渕常務は述懐する。
 続いてもう一つの幸運が重なった。努力が実ってぽつぽつと売れるようになった55年ごろ、いわゆる「白色革命」といわれるブームで火が点いた。ホワイト・スピリッツ(白色蒸留酒)のジン、ウオッカ、テキーラなどにつられて、焼酎の売れ行きも伸びていった。

需要の拡大・地場産業の育成
 統一銘柄 「球磨焼酎」 は出資額に応じて各メーカーの原酒を買い取り、ブレンドする。この原酒審査が実に厳しい。基準にパスしないものは遠慮なくはねられる。「球磨焼酎」とズバリその名を冠するだけに当然だ。また、ブレンド技術も常に研究開発を怠らない。
 共存共栄をモットーに設立された球磨焼酎会社だけに、そこにはいろいろな配慮が働いている。例えば、出荷先から九州は除く。既存の蔵元と競合しないようにだ。また、出資額に応じた原酒の買い取り量も蔵元の規模に比例したものではない。むしろ小さな蔵の方が"優遇"される場合が多い。「球磨焼酎会社は協業で需要を拡大するとともに、地場産業としての球磨焼酎を育成することも大事な使命なのです」と田渕常務。応接室には各メーカーの銘柄が所狭しと並んでいる。現在、約百四十銘柄。百花繚乱といった趣で、各メーカーがそれぞれの個性を発揮し、存在感を主張している。そして、それらをしっかり下支えしているのが統一銘柄「球磨焼酎」というわけだ。
 ところで、球磨焼酎㈱から目新しい商晶が登場した。焼酎ではなくリキューール類(梅酒)の「梅酒ひとよし」。球磨焼酎をベースに無農薬栽培された地元人吉特産の梅でつくられたぜいたくな風味だ。これもまた球磨焼酎同様、地場産業の育成と通じるものがある。
『球磨焼酎二十九面相』末吉駿一編・著 (株)マインド
球磨焼酎((株))のURLは 
http://shochu.daisuki.ne.jp/kumashochu/kumashochu_index.html

 


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