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台湾・高雄の緑陰で№9 [雑木林の四季]

 テキサスの蚤の市

                                     コラムニスト  何 聡明
                                        
  私が1980年代に貿易商として自動車用のバックミラー等のアクセサリを台湾と日本からアメリカへ輸出していた時のことであるが、輸出品の販売業務でテキサスのダラスへ百日の長きに亘り出張したことがある。当時娘達の教育のためにダラスには妻と娘達が住む家があったので、或る意味では帰宅でもあった。
 テキサスで私は始めて「蚤の市」があることを知り、好奇心に駆られてある土曜日30分ほど車を走らせてこの地方では古くから「第三番目の金曜日」と呼ばれている蚤の市へ向かった。その市は緩い起伏のある広々とした場所にあり、3百単位ほどの露店が並び、多種多様の中古品、骨董または時期はずれの商品が地上に敷かれたプラスチックシートや折りたたみ式の卓上に並べられていた。猛暑の日であったので大きな日傘を立てている露店も少なくなかった。
 市の管理員の話によれば、遠路から来る商人は自家用車、ヴァン、小型トラックまたは自動車で牽く移動住宅に商品を載せて、毎月の第三金曜日に入場費を支払って進駐し、気に入った場所を選んで土、日曜日の市の準備を始め、その夜と土曜日の夜は其処に泊り込むのであるが、月曜日の朝まで留まる人もいる。近くから来る商人たちは土曜日の朝か日曜日の朝に来て、露天店の費用を支払い、空いた場所を探して商売を始める。但し雨天には市は開かれないとのことだ。
 蚤の市の商人は皆が皆一般の商人ではなく、休日以外は公私の職についている人たちやその家族も少なくない。この人たちは家庭で使わなくなった大小の家具又は家庭用の器具を運んで来て売るのである。飲み物、アイスクリーム、ホットドッグ、ポップコーンなどを専門に売る出店もある。多くの老幼男女は暑い天気をものともせずカウボーイ帽を被り、飲み物や食べ物を手にして市をめぐり歩き、気にいった物があれば買う。私は野外の蚤の市は休日にテキサス人が時を過ごす最高の場所の一つであることを知った。
 其処で蚤の市の言葉の起源を当地のアメリカ人に聞いてみたが、知らないと答えた人もあれば、大商売人に比べれば、ここへ来る小商売人は蚤の様に小さいから蚤の市だと言う者もおれば、ここで売る中古の着物のなかには蚤がよく潜んでいるので蚤の市と言うんだと、答えはまちまちであった。自宅へ戻ってから大辞典をめくって得た答えは:「蚤の市はフランス語marche de aux pucesの翻訳であり、中古の零細雑貨や古物を売買する市場である。この市の名の起源はパリ北郊の道端の市場であるが、後に一般の中古品を売買する市場を指すようになった」とあった。
  ダラス附近の複数の蚤の市を巡り歩いた後、私は旧式の車両にしか使えないためにストックになっているアクセサリを週末に蚤の市で捨て値で売ってみることにした。そうすれば頭痛の種である売れ残りの在庫品を減らし、元値も多少は救えると思ったのである。大小異なった蚤の市での売り上げはまちまちであったが、運のついている日は最高で270数ドル売れ、運のついていない日は最低で7ドルしか売れない日もあった。蚤の市での経験は露天販売の技術の他に、皮膚の色の異なった多くのアメリカ人と交流して、彼らの買い物の習慣、ユーモアと人情味に接することができたことである。
 昼間テキサスの酷熱に耐え、ある時はスコールにあい、ある時は黒雲に包まれた北の空から暴風か竜巻が近ずいてくるのを見ると、家族と急いで露店をたたみ、車に飛び乗るや黒雲を尻目にかけて自宅へ疾走したこともあった。
  20数年前のことであるが、今ではテキサスの蚤の市で過ごした幾つかの苦あり楽しみありの土、日曜日が我が人生の一齣として懐かしく思い出されるのである。
 台湾ではあちらこちらで蚤の市と呼ばれる市が立つようになったが、殆どが室内か一般商店の停仔脚(台湾の道路わきの一階に設けられた天井つき歩道)を利用している。テキサスで私は屋内の蚤の市を訪れたこともあるが、其れは普通の商店街と一緒で面白味がない。蚤の市は広々とした露天にあるのが面白いと思う。



 


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