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雑記帳2010-01-14 [代表・玲子の雑記帳]

DSCF0026 のコピー.jpgここは今から50年前、全国にその名を知られた「砂川闘争」があった場所です。

米軍基地滑走路の延伸に反対し、測量を阻止しようと立ち上がった農家の人たちに、全学連や総評などの組織的な応援が加わって、憲法判断にまで及ぶ大きな闘争になったのでした。

「土地に杭は打たれても心に杭は打たれない」という今に残る言葉や、警官隊に囲まれた学生の間から誰からともなく広がった「赤とんぼ」の歌など、いくつものエピソードが生まれました。

 

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(写真上)この柵を越えて測量隊がなだれこんだ。

 当時の滑走路の中心

 

闘争から半世紀たって、当時子供だった人も今や60代、座り込みで警官に対峙した学生も後期高齢者と呼ばれるようになりました。跡地はすっかり風化し、ここで警官隊と衝突したことを知る人は今では少なくなっています。

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労働組合や学生の応援だけでなく、木下順二や中野好夫など多くの文化人もまた砂川をおとずれました。          そして闘争に参加した多くの若者達がその後、右と左に別れて日本の思想界をリードしたことも実はあまり知られていないのです。

砂川闘争の後、米軍は立川基地から横田基地に移転することが決まり、1977年11月30日、立川基地は日本に全面返還されました。跡地は東京都の防災基地、陸上自衛立川駐屯地や国営昭和記念公園ができたほか、国の施設が移転してきています。


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