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都幾川のほとり通信№2 [核無き世界をめざして]

丸木美術館の誕生

                                埼玉・東松山市  丸木美術館

 1967年、丸木位里・俊がこの地(東松山市)に美術館を建ててから42年が経ちました。この地に美術館が出来る前のことをお話しさせていただきます。
 1954年頃、日本の中での「原爆の図」巡回展が一段落した頃、ぼろぼろになった絵をどうするかということになり、自分たちが描いたものでも、みんなの絵になってしまった「原爆の図」を美術館を建てて永久に保存しなければということになりました。この「原爆の図」のことを新聞で知った建築家白井晟一氏は、そのための美術館を構想し「原爆堂」と名付け設計図を作りました。原爆堂の計画は、湯川秀樹・吉川英治などの著名人が発起人になり、「原爆の図」の世界行脚、原水爆禁止の願いとともに進められていきました。
 この原爆堂は、円筒の建物を囲んで正方形の画廊が続いていて、水に浮かんでいる。それは、原子雲の姿にも見え、悲劇を転じて幸いとなす華のように水に映じている。庭には木をたくさん植え、彫刻を配置して、美術館には絵を、図書館には『長崎の子』『屍の町』『原爆詩集』、又映画や芝居のための小講堂もあったりする・・・というこの総合的な文化施設は実現することなく夢に終わりました。位里・俊も非常に残念がっていたということでした。
 現在の美術館は雑木林だったところの裏に、都幾川が流れている風景が、位里さんは自分の住んでいた広島の太田川によく似ていることから、大変気に入ってこの地を選んだということです。土手にはクマザサが茂り、日本画家であった位里は桜の木を植え、竹林も作り、白樺や柿の木も植え、メタセコイアの木も大きく茂っています。昔はこの川で投網を使い鮎を捕り、8月6日には毎年灯籠流しをしています。DCP_1446 のコピー.jpg
 美術館の前庭にある原爆観音堂には広島の観音堂に安置されていた観音像も安置されています。毎年保育園や学校からいただく千羽鶴が飾ってあります。駐車場側の宋銭堂には、丸木位里・俊の遺骨の一部が納められています。もうすぐ1月13日は俊の命日で没後10年になります。
 宋銭堂は、美術館敷地内から5万枚の宋銭が出土したことから、その宋銭を供養するため建立されました。宋銭堂の前には、位里の母親であるスマの有名な言葉「ピカは人が落とさにゃ落ちてこん」が刻まれた(位里の書)石碑が建てられています。その隣には「痛恨の碑」が建てられ、1923年の関東大震災の時に埼玉に逃れてきた朝鮮の人たちが、流言飛語により虐殺された事件を悼み1986年に建立されたものです。
IMGP0664 のコピー.jpg 春は若葉が萌え、黄色の菜の花が咲き、桜も同時に咲きほこり、秋は小道を歩いていると、カラスウリが「ほら赤くなったのよ」と教えてくれる。紅葉の中で川面に夕日が赤く映し出され、冬の美術館は寒いけれども、都幾川には朝日がきらきら光り、つがいのサギがのんびりと魚をついばんでいます。映画監督の武重さんが美術館に来たとき「毎日ここで仕事が出来ていいなー、幸せだなー」と私たち事務局の顔を見て言っていきました。確かに・・堅い建物に囲まれた風景ばかり見ているとどこか旅に出たようにほっとします。ありのまま、そしてどんな命も平等なんだということを絵の中や、毎日の生活の中で実践し続けた丸木夫妻。私たちはその意志を受け継いで次世代に引き継いでいかなければならないと思うのです。
 この地に美術館があって良かった・・丸木夫妻が自然のものを食べ、動物たちと一緒に、どんな人が訪ねてきても受け入れて生活していたこの東松山の地、心の広ーい丸木夫妻を、私は人間として尊敬しています。一度丸木夫妻の足跡を訪ねてこの地にいらっしゃいませんか?


 

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 原爆の図丸木美術館では2010年1~3月、連続で映画会を開催します。
もんじゅ、アフガニスタン、沖縄と丸木夫妻がそれぞれのテーマです。
第1回は1月23日です。これを機会にぜひ丸木美術館をご訪問下さい。

参加には当日の入館券が必要です(丸木美術館友の会会員をのぞく)。
※映画会では参加者の皆さんに映画制作費などへのカンパをお願いします。
※各日とも高坂駅西口から市内循環バス唐子コース(12:00発)をご利用いただくのが便利です。
また午後12時半に森林公園駅南口から丸木美術館の送迎車が出ます。
その他の交通は利用案内のページをご覧ください。


第1弾「山のかなた」
1月23日(土)13:00~
監督 池島芙紀子
制作 ストップ・ザ・もんじゅ
2009年/日本
DVD案内@ストップ・ザ・もんじゅ
http://www.page.sannet.ne.jp/stopthemonju/title/buppan/buppan.html#yamakana

核兵器のない世界へ。
アメリカのオバマ大統領は、この誓いを元に、ノーベル平和賞を受賞した。
今、アメリカ・イギリス・ドイツ・フランスは、増殖炉開発から撤退したり閉鎖している動きの中、地球温暖化を理由に、また原子力をという動きが出てきている。
原子力が電気を作るためどれだけのCO2を出しているのかということは伏せられているが、この映画をみるとよくわかる。
日本は原発の使用済燃料から高速増殖炉で使うプルトニウムを取り出す作業に力を入れている。なぜか。
そのことをわかりやすく映像化している映画です。
原爆を落とされた世界で唯一の国であるにかかわらず、なぜ日本はわずか2~4kgで核兵器になるプルトニウムを作るのか。私たちが平和を考えたとき、知っておかなければならない現状なのです。
みんなで考えてみましょう。山のかなたに幸せはくるのだろうか。
鑑賞アドバイザー 向井雪子さん(チェルノブイリ子ども基金)


第2弾「タクシー・トウ・ザ・ダークサイド」
2月13日(土)13:00~
監督 アレックス・ギブニー
2007年/米国
2008年度 第80回アカデミー長編ドキュメンタリー賞
2007年度 トライベッカ映画祭ベスト・ドキュメンタリー賞

自主上映会案内@アムネスティ・インターナショナル日本
http://www.amnesty.or.jp/modules/wfsection/article.php?articleid=2122

タクシー運転手ディラウォルはなぜ殺されたのか?
2002年12月1日、アフガニスタンのタクシー運転手ディラウォルは3人の客を乗せたまま、二度と家族の元には帰らなかった。
ディラウォルは「テロ」容疑者として米兵に引き渡され、バグラム空軍基地の拘禁施設に収容されたのだ。
そこで拷問を受け、5日後に死亡した。
―ディラウォルの死を軸に、アレックス・ギブニー監督は、バグラムやイラクのアブグレイブ刑務所、キューバのグアンタナモ収容所で「自白」を引き出すための拷問がいかにして正当化されていったのか、拷問が現場の「腐ったリンゴ」による行き過ぎた行為ではなく、ブッシュ大統領をトップとした指揮系統に基づいて行われていた事実を浮き彫りにする。


第3弾「沖縄戦の図 命どぅ宝」
3月13日(土)13:00~
監督 前田憲二/制作 前田プロ/1984年/日本

「沖縄を描かなければこの戦争を描いたことにはならない」
沖縄・首里にアトリエを構え、沖縄の人々と触れあい、力を借りながら《沖縄戦の図》制作に取り組む丸木位里・丸木俊の姿を追ったドキュメンタリー。
美しければ美しいほど、やさしければやさしいほど、沖縄の惨劇は胸をえぐる。
集団自決。
「殺した日本兵の同胞たちには、殺された沖縄の心はわかるまい」。
(絵本『沖縄島の声』より)
沖縄にはたくさんの基地があり、今、まだ、戦争は終わっていない。

『原爆の図 丸木美術館』     埼玉県東松山市大字下唐子1401
鉄道 - 東武東上線つきのわ駅から徒歩2km
バス - 東松山駅東口から東松山市内循環バス唐子コース「浄空院入口」バス停から徒歩5分
         高坂駅西口から東松山市内循環バス唐子コース「丸木美術館北」バス停から徒歩2分
道路 - 東松山ICから国道254号小川方面10分

           


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