戦後立川・中野喜介の軌跡№14

 ◆第六節　中野喜介氏という人物

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　立川市教育振興会理事長　　中野隆右

　ところで、『真相』の記事では「夜の市長」として、また社会学の研究書である『都市と村落の社会学的研究』においても「市政の黒幕的存在」と記述される中野喜介氏とは、果たしてどのような人物であろうか。
　昭和34年発行の『人事興信録第二十版』には、中野喜介氏の項目がある。
　それによると、中野喜介氏は明治39年7月5日生まれ。立川市出身。大正14年神田工手学校卒業、昭和6年立川タクシーを設立、社長となったとある。
　しかし、立川に長く暮らす伊藤平八朗氏によると、中野喜介氏は立川の出身ではない。また、姓も『真相』の記事にある旧姓の川辺ではなかった。
　「中野喜介さんは、以前は杉山応という名でした。昭和7、8年頃は杉山タクシーといって、車を2台持って営業していました。そのころは会社も従業員もない。運転手兼営業といったところでした」
　いたってこじんまりとした営業だったようで、「あの時分は、タクシー代は1円でやっていたころでしょう。そのころ乗った人はもういないし、私も乗ったことはない」と言うが、伊藤氏の丸屋呉服店と杉山タクシーは、同じ立川駅前の商店街でわずか2軒隣にあり、その記憶は確かだ。名乗った姓は、最初の姓から養子縁組で中野姓になるまであわせて4つある。
　「少なくとも昭和12年にガソリンの統制が始まるまではタクシーでした。その後は、私が兵隊に行ってからだから分からないが…。それが終戦になって伸びた人でした。杉山の次に名乗っていたのが川辺でした。そして進駐軍が入って来て　「パラダイス」をつくったときには、第三国人の姓でした」

　中野喜介氏の本姓は、孫という。名は應棟。出身地は忠息清南道。父の名は、孫海成、母の名は雀達山。つまりは生粋の朝鮮籍の孫應であり、立川にやってきたのは成人してのちのことである。それまで名乗ってい杉山も、あるいは川辺も、もともとは配偶者の姓であった。
　「たしか最初の奥さんとは、韓国人同士だったと思います。次が杉山さん、それから川辺さん。川辺さんは青梅の芸者さんで、きれいな人でしたな。そして終戦後は、孫です。日本人はやたら統制で縛られてしまうが、あの人は第三国人ですから。終戦後、『パラダイス』をつくったのも、取り締まられないことがあったんじゃないでしょうか。『パラダイス』で働いている女性は、そこで話がまとまればという慰安婦です。これを、立川で戦後一番早くやったわけです」　（伊藤氏）
　先に触れたように、当時の日本では〝解放国民″である朝鮮籍者の法的地位は、一般の日本人よりも有利なものであった。中野喜介氏は、この有利な地位を敗戦後、もっとも有効に利用した人のひとりであったろう。

　中野喜介氏は以後、敗戦後の混乱期に人脈を拡大しながら事業を次々と拡大・展開していくことになる。そして敗戦から8年後には立川商工会議所を設立し、その会頭となり、また、東京都商店会連合会、全国商店会連合会の会長をも務めるようになる。
　「中野さんは警察関係でいうと、国警の立川警察署長の下で、“夜の署長”と呼ばれていた巡査部長と結びついていました。この当時の巡査部長は、今よりはずっと地位が上でした。中野さんは当時第三国人であり、日本語も韓国語もベラベラで、警察とパイプがあるんだから鬼に金棒ですよ」　（伊藤氏）

　警察組織は占領軍による戦後民主化の一環として、戦前の都道府県警察部を内務省普保局が統括する全国組織から、自治体警察組織に衣替えしていた。基礎的自治体（主に市）などが運営する自治体警察（自警）と、広域を担当するとともに独力で警察組織を維持できない小規模な自治体（主に町村）をも守備範囲とする国家地方警察（国警）とに分割されていた。
　しかし、このことは各警察組織の規模を分散縮小させる結果をもたらし、治安維持の低下という弊害をともなっていた。
　三多摩には自治撃の警察署が3市、8町、1村の計12の自治体に設けられ、国警の地区署が11署、支所が1署置かれた。
　立川の場合、昭和11年に設置された警視庁立川警察署が、昭和22年の新警察法施行と同時に国警立川地区署（172名）、自治警立川市警察署（121名）、自治警昭和町警察署（38名）、自治警谷保村警察署（17名）　に四分割されていた。
　ちなみに各警察署の署長は、所帯の大きい国警立川地区署と自治警立川市警察署こそ警視だが、昭和町と谷保村のこじんまりした警察署では警部がその任に当たった。
　この体制は、昭和29年の警察法改正で、道府県警察本部と警視庁という、都道府県単位の自治体警察に一本化されるまで続く。
『立川ー昭和20年代から30年代ー』ガイア出版