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連句漫語№2 [文芸美術の森]

連句漫語(弐)

発句はすべてが許される       

                                 猿若句会々亭   中村 信

 先日、先輩コピーライターの多比羅孝さん(近々このブログにも登場予定とか)等と話をしている時、定義の難しさが話題になりました。それが既知の概念にしても、いざ説明するとなると、どこからどこまで言わなければならないかから迷ってしまうものです。たとえば俳句を全く知らない人に解説しなければならなくなったとしたら、あなたならどの位の字数が必要ですか? いわんやあまり知られていない概念ならなおさらです。連句がそうでしょう。私にはそんな難しいことはできません。
 そして、この欄は学術的な講義ではありません、それは専門的な入門書①におまかせしましょう。漫語とうたっているように、入門者同然レベルの一連句愛好家の酔談と思って楽しむところから入ってみてください。実作を見ていくのが早そうです。

  冬三日月届けぬ文を書いてをり     登美枝
    淡き思ひのこもる白息       一火
  けふもまた職にあぶれてネットカフェ  均

 前回、紹介した友多加座歌仙の前の巻の発句・脇・第三です。
表六句②には神祇・釈教・恋・無情・地名・人名などは嫌うと言って、普通は詠まないことにしています。ところが、発句に限ってはすべてが許されます。ごらんのように、この句は恋の句であり、月の句(定座と言って、月・花にはあらかじめ決められた詠む箇所があります。詳しくは後述)です。登美枝さんは猿若句会ではベテランですが、連句に参座したのはまだ二巻目です。しかし間違ったわけではありません。連衆が発句として認めた句なのです。句意は特に解説する必要はないでしょう。

 脇をつけた一火さんはベテラン(一火は連句の際に用いる俳号で、俳誌『轍』の副主宰・編集長の大橋俊彦さんで、轍では連句の頁も担当しています)です。脇は発句と同季で、できたら同時・同場所が原則とされています。発句に寄りそい、発句が言い残した余意、余情を付けるとされています。白息が冬の季語で、文を書いている人は思いをこめて白い嘆息をもらしているだろうと付けたわけです。

 さて、第三です。或る意味、連句はここから始まるとも言えます。しかし、脇からまったく離れていても良いかと言うと、やはりどこかで付いていなければなりません。前回にもふれましたが、前の前の句(打越句、ここでは発句)からは絶対に離れていなければなりません。
 漢詩でいう起承転結の<転>です、「それでは転じてください」などと使われています。そこで、均さんは見事に転じました。嘆息しているのは、職にあぶれたカフェ難民だったと展開しました。文を書いていた人が残っていてはまずいわけです。
 このように長句・短句・長句……と付け、第四、第五と転じながら付けていくわけです。イメージ的にも、語感・表現・趣向などが戻った感じを<輪廻>と言って嫌います。
 あなたも第四を付けてみませんか?

「注解」 ①最も学術的なのは『連句入門』(東明雅著、中公新書)でしょう。実は友多加座も発座時のテキストにしました。他に『現代の連句』(宇咲く冬男著、飯塚書店)他があります。私的には『連句の楽しみ』(暉峻康隆・宇咲冬男著、桐原書店)を重宝したのですが、残念ながら絶版のようです。その他、詳しくは連句協会のホームページを参考にしてください。
②歌仙は表六句(オ)裏十二句(ウ)名残の表十六句(ナオ)名残の裏六句(ナウ)で構成されています。いずれ詳述の機会があるでしょう。
③訂正 前回の私のホームページの紹介アドレスが微妙に違っていたそうです。正しくは
http://www5.ocn.ne.jp/~d-gerr/index.htmlです。


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