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生と死をみつめて№4 [心の小径]

鑑真和上から安穏の力をもらい
廣隆寺・弥勒菩薩からは安らぎ          

                   ジャーナリスト・清泉女子大学講師    錦織 文良

 空前の仏像ブームだそうである。 仏教や仏教美術史に関心が高まったというより、若い世代を中心に、素直に仏像と向き合い、知識にこだわらず自分の好きなように見ればいい、という軽いノリで実物を目と肌に感ずることだという。
 ごく最近、100万人近い空前の入場者を引きつけた、東京国立博物館の「国宝 阿修羅展」が決定的な流れを作った。博物館の入場者は、05年の「唐招提寺展」が40万人、06年の「仏像展」が34万人、08年の「国宝 薬師寺展」が79万人だった。
 本の出版も盛んだ。講談社の分冊百科「日本の仏像」や小学館の「仏像の見方」、朝日新聞の「仏像の秘密」、仏像ガール廣瀬郁美の「仏像の本」(山と渓谷社)など目白押しだ。

 6月のある日、日野市の高幡不動で「仏像フォーラム」があり、応募当選したので行ってみた。サブタイトルに「仏像を熱く語る一日」とある。聴衆は300人ぐらいか。来場者の中からあらかじめ贔屓の「マイ仏論」を語りたい6人ほどを選んであり、彼らも好きな仏像を熱心に披露した。語り口も内容もなかなかのものである。
 壇上にはコラムニストで小唄師の宮沢やすみさん、いまマスコミで超売れっ子の仏像ガールこと廣瀬郁美さん、研究者代表として青木淳・多摩美術大准教授が並んでトークショーを展開した。いずれも「仏像の知識や研究などにはこだわらず、気軽に楽しもう」「自分がこれ、と気に入ったスポットがその仏像の魅力」などと、口々に平たい鑑賞姿勢を薦めた。会場はのりやすい中高年女性が圧倒的に多い。薀蓄を傾けて質問をした中高年男性もいたが、講師に軽くコンファームされて満足していた。
 なるほど時代はここまで変わったのか、と感心しながら、一方で私の仏像鑑賞も思い起こした。そして奈良・唐招提寺の解体大修理の折に再会した鑑真和上を鮮明に思い出していた。さらにはしごをして拝観した京都・廣隆寺の国宝第一号弥勒菩薩半跏思惟像である。尊体二仏からは、生きる力と安らぎを与えられたのだった。

  先年6月、奈良・唐招提寺(律宗総本山)で、恒例の年一回の特別公開があり、6月10日に天平の名刹を訪れた。例年は開祖・鑑真和上の命日である6月6日を中心に前後3日間だが、この時は金堂とそこに内蔵する国宝二仏の大修理のありさまを一般に開放したため、6月5日から12日までのロングラン公開になった。
 唐招提寺境内の伽藍のたたずまいは、いつものように私の心を満たし、ふやけた頭脳のリフレッシュになった。訪れるたびに、ゆったりとした気分に浸ることができるのである。
 何はさておき、御影堂の鑑真和上との再会である。等身大の像は、この日も穏やかな表情だった。香をあげ正面から目で密着すると、瞑目して禅定印を結んだ姿に吸い込まれるようである。生前に作られた寿像(じゅぞう)ともいわれるが、これはやはり遷化(せんげ)のさまではないか。

 請われて、中国から5度も日本渡航を試みるが海難で果たせず、6度目の挑戦でやっと753年(天平勝宝5年)に鹿児島に上陸、12年ぶりの想いをとげた。その際の失明や後の波乱の人生など、艱難辛苦にさいなまれ続けたが、その悲運のかげりなど微塵もない。
 かくして芭蕉は、和上と対面してこう詠んだ。 
      
若葉して おん目の雫 拭はばや

 御影堂には、東山魁夷画伯が遺した襖絵の大作が四つの部屋を飾っている。1971年から1980年にかけて制作、奉納したとされる。和上の間にいざなう広い宸殿の間に展開する「涛声」は、海の群青色がえもいわれぬ美しさである。隣の上段の間の「山雲」は、深山の驟雨をブルーの微妙な濃淡で引きつける。梅の間の「桂林月宵」と桜の間の「黄山曉雲」はいずれも薄墨で描き、「黄山曉雲」は鑑真和上の故郷の図である。

 いずれも心打つものがあり、特に「涛声」の群青色の魅力からは離れがたく、見学時間の半ばをここで過ごした。
 金堂修理と廬舎那仏坐像、千手観音立像(いずれも国宝)の解体修理公開も興味深かった。1999年から始まったが、2009年の完成予定だからもう目前である。二つの仏像が大きすぎて、台座や光背周縁部と分離して堂外に出した。修復仏を並べた工事用の講堂には、台座から降りた廬舎那仏が板の間に鎮座している。間近で見るのは始めてである。座敷に座って、正面からその巨大な像をあかずに眺めた。千手観音は、911本の小脇手のすべてと、大脇手のうち32本をはずして持ち出した。ばらした一本一本を直近で見ると、その細工の精緻さがわかる。金堂に並ぶ三仏像のうち、薬師如来立像は修復期間中、奈良国立博物館で寄託陳列していた。
 今回は、像のエックス線透視撮影でいくつかの新発見があった。廬舎那仏の両手の掌に、宝珠とみられる大小二つの玉が埋め込まれていたし、両眼の瞳に黒光りする材質が貼ってあるのも確認された。                    
                  
   
           


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