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書(ふみ)読む月日№4 [アーカイブ]

人も惜し  (1)

                                国文学者       池田紀子

  人も惜し人も恨めしあぢきなく世を思ふゆゑに物思ふ身は 後鳥羽院

 今年、2005年は、太平洋戦争が終結して60年の節目の年にあたります。それは日本が、3年9ケ月に及ぶ、アメリカ、イギリスなどとの戦いに敗れ、無条件降伏したことです。この戦いで、2百万人を超える兵士が亡くなりました。数百万人の民間人が、家を焼かれ、家族を失いました。
 日本は敗戦直後から、6年9ケ月の間、連合軍の占領下に置かれました。日本は、占領軍に監督され、憲法、農地改革、教育改革、税制改革など、多くの改革が行われました。
 日本人は、勤勉に働き、荒廃した国土の復興に努力、高度経済成長を経て、今や世界有数の経済大国となっています。
 しかし、今なお世界の多くの地域で、戦火は消えることなく、紛争は終結してはいません。
 私たちは、自らの歴史の教訓に学び、国際社会と協調して、諸国民の平和を繁栄を実現したいと願っています。その決意を新たにするためにも、あの戦争の体験を風化させてはならないのです。
 幼かった私にとって、忘れられない夜の思い出があります。そのとき、私は5歳でした。
 
  昭和20年8月2日未明。
 私の瞼に刻まれている映像…。
   巨大な翼。
  それが群をなして空を覆っていた。
  何本かの光の柱。
  それが捉えた翼の星のマーク。
  空中で町を昼間のように照らし出す光の塊。
  赤々と燃え立つ炎。
  影絵のように映じる黒い屋根。
  それが火炎に包まれている。
  道を走り回る人の群れ。
  火だるまになって倒れる人。
 
  私の耳の奥から消えない音…。
   空から聞こえる体を押し潰すよな爆音。
   ヒユーツ、ヒユーツ その昔が地面で消えると炎が噴いた。
   バリパリッ、燃える家の悲鳴。
   逃げろっ、退避っ、警防団のメガホン。
   助けてー、痛いよう、おとなや子どもの悲鳴。
   ゴーッ、ゴーッ、炎が巻き起こした風の音。
 
  私の鼻は今もあの臭いを…。
   焦げ臭い、息の詰まるような臭い。
   肉の腐った匂い、吐き気を催す死体を焼く臭い。
 
  私の皮膚と掌に残る感触…。
    両掌に握っていた両親の温もり。
    息が詰まるような熱風。
    死が間近にあることが皮膚に伝わって…。
    浅川の水の冷たさが生きていることを教えてくれた。
 
 私の五感に残っているのは、これだけです。生々しく私の中にあります。それは鮮烈な体験でした。しかし、これを順序立てて、まとまりのある体験談とすることはできません。いつ、どこで、だれが、どのように、なぜ、という文とするための要件のことごとくが、分からないからです。なにしろ、まだ五歳の私ですから、これらは多分に追体験に他ならないと思います。
 この体験を、いつの目にか形のあるものとし、次の世代に語り伝えようと、心に深く期していました。『書読む月日』ヤマス文房


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