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浜田山通信№5 [アーカイブ]

老人会のバス旅行     

                                    ジャーナリスト     野村勝美

 6月22日から2泊3日で福島県の母畑(ぼばた))温泉に行った。和泉下高地区いきいきクラブ連合会の定期総会旅行である。老人会のバス旅行。
 和泉下高地区というのは、杉並区東南の方南町、和泉、永福、下高井戸、浜田山をさす。老人会は14。区全体では78クラブあり、会員6800人。去年1年で3クラブ300人が減った。急激な減り方である。会員1人ひとりが友達、知り合いに声をかけてほしいと、宿についてすぐ始まった総会で会長が訴えた。
 私は商店会のつきあいで、20年ほど前から名前だけは老人会に入っていた。浜田山白寿会という。今回の旅行の参加者は男3人、女6人。14クラブで96人だから平均よりは多いが、往時と比べると半数にも満たない。最盛期にはバス6、7台も連ねたが、ことしは2台だけ。隔世の感。
 考えてみれば昔は団体旅行が盛んだった。商店には商店会の旅行。月5000円の積み立てで年6万円、けっこう豪華な慰安旅行だったが、もう10年も前に廃止された。自営業の転業が続き、いまや会の役員、会長のなり手がいない。業界のメーカー、問屋の招待旅行は多く、地元代議士主催の旅行もあった。そういえば、会社の社員旅行もなくなったのではないか。高齢の旅行会が細々ながら続いているのはむしろふしぎなことかもしれない。
 私はサラリーマンをしていたから地域との接触は全くなかった。連れ合いはおもちゃ屋をやり、学校のPTAに参加していたのでこの半世紀の間にすっかり地域の人になった。60歳になって老人会にはいるのになんの抵抗もなかったようだ。当時、白寿会の会員数は150人を超えていた。それがいまは男10人、女60人。どのクラブもそうだが、女性が断然多い。そして平均年齢80歳。連れ合いは79歳だが、彼女より年下の人は2,3人しかいない。つまりいま70歳前半以下の「老人」はだれもはいってこなかったというわけだ。どうも老人会をいきいきクラブといってみたり、敬老会館をゆうゆう館と名称変更したあたりから地域社会の構造そのものが家庭、親子関係も含めて変化したようなのだ。
 老人会や町会、商店会、さらに防犯協会、交通安全協会、消防団などは、地域の自治会、原住民の組織で根強い保守地域だが、それも崩壊しつつある。こんどの旅行でも祝電を打ってきたのは都議連自民党候補一人だった。
 それはともかく、旅行は那須高原南ケ丘牧場、那須峰を望むチーズガーデン、翌24日白河の関、乙字滝、須賀川芭蕉記念館、25日御斎所街道、塩屋崎灯台美空ひばり碑、小名浜港とそれなりに楽しいものでした。


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