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砂川闘争50年・それぞれの思い№5 [アーカイブ]

 「砂川を記録する会」代表・星紀市編

労働組合は出しゃばらず、地元の意向を尊重  (1)

関口和(かのぶ)さん                                                       国鉄労働組合・三多摩地区労働組合協議会事務局長・鉄道退職者の会全国連合会会長

 私は、1953年から国鉄労働組合の八王子支部専従として組合運動をしていましたが、そのころ、地域の運動も日本の労働組合運動では重要で、三多摩地区労働組合協議会の事務局長もしていました。
 1955年5月1日、砂川では、宮伝町長成立、石野昇、萩原一治・2名の社会党町議選出がありますが、5月4日に降って湧いたように、五日市街道を跨(また)いで米軍基地拡張の申し出が、砂川だけでなく、「立川・横田・新潟・小牧・木更津」とありました。おそらく朝鮮戦争の影響があったと思いますが、立川は特に補給基地という特徴があるので、「首都圏としては珍しいが拡張したい」という申し入れでした。当時米軍も、こうした問題を担当していた調達庁も「拡張はそう難しくないと思った」と思います。それまで砂川は何回も拡張を経験していたし、間題はないと……

 話があってすぐに石野君から相談がありました。当時は新間も取り上げなかった。石野君や萩原さんと相談し、「このまま見逃すという手はないだろう、運動に立ちあがりたがりたいという希望を砂川町長は持っているだろう」という話があったんで、労働組合は何があるかわからないが、また米軍基地反対闘争というのは初めてであったので、どういうかかわり方をしたらよいのか、とにかく当時はあんなに大きくなるとは考えていなかったので、「一緒にやろう、支援をしよう」という決意だけ、5月中の幹事会で私が提案し、満場一致で決議しました。

 そのうちに砂川の中でもいろいろな機運が盛り上がり、6月18日阿豆佐味天神社で町民総決起大会をするといぅことを聞いた。それで決議しっぱなしじゃしょうがないから、我々にも参加させてくれと話しました。すると向こうでは返事ができなかった。それは歴史がないからです。全国でいろいろありましたが、労働組合と地元の人たちの運動の融和点というのが必ずしも.一致しない、だから勝手に動いてしまってもしょうがないから、砂川の土地を持っている住民の人たちが何を考えているのか、どう思っているのか、静かに参加して見極めてみようと、決議しました。そして6月18日の総決起大会に参加するということになりましたが、参加させる、させないで地元は相当もめたらしいです。

 初めて集まるわけだから目印として組合が組合旗を立てる、それは困るというのが砂川の地元から出てきた。石野君と直接会って、我々に何を望むか、何をすればいいのか、参加するに当たって目印として組合旗の一本だけを端っこに持ち込むということを認めて欲しいと話をしました。なかなか 「うん」と言ってもらえなかった。結果として組合旗を持ち込む、一本と集約した。「これはしょうがない」ということで集会に参加しました。参加してみると、砂川のあらゆる層の人、農民だけでなく、いろいろな人、代議士、自治体の長も来ているんです。1700名くらい集まったのではないでしょうか。国労も100名くらい行ったと思います。

 砂川の人たちが反対の意志決定をしました。しかし、その後、「決めたたけではどうにもならない。東京都知事、内閣に申し入れをする。そのとき、5月、6月なので農作業がお留守になる。私たちが、そのお手伝いをしよう」と。後で名前をつけるのですが、援農動員です。大体コンスタントに1日50人ほど、農作業の経験のある人を集めました。かなり喜ばれました。そして信頼関係を作り、困っていることを、まず手伝いました。こうしたことが夏をはさんで2ケ月くらい続いたんです。砂川でスイカを食べながらね。動きはあまりなかったように思います。でも駆け引きはありました。

 運動を広げようということで、この間題を総評、東京地評に持ち込みました。労働運動全体でもいろいろ地域の運動をやっていこうと決議があったときで、国鉄機関tの先輩たちのところを回ったんです。とりあえず、砂川に来てもらうという体制を作る、決議をする。あわせて労働組合だけではしょうがないと、文化人、当時清水幾太郎さん、中野好夫さん、壷井栄さんという人たちに、とにかく砂川を見てくれと、何が起きているのか、政府は何をしているのか、と言って回りました。これがその後、生きたんですね。当時テレビができたばかりで、こ の問題を機会があるごとにその人たちがしゃべる、マスコミも放っておく訳にはいかないとそういう風に、準備期間をはさんで、文化人も、マスコミも動員するということを、僕たちは役割として援農の傍らでやっていました。支援は山形や愛知やいろいろなところでできるが、やはり東京で盛り上がらなければならない、全東京の闘いだ、という機運を作っていったんです。『砂川闘争50年 それぞれの思い』けやき出版


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