the Sound of Oldies in TACHIKAWA№2 [アーカイブ]
栄えてる方・北口 その1
鈴木 武
俺もおかあに連れられてデパートにはよく行ったな。弟とおもちゃ売場を見るのが楽しみでさ、常に旬の商品をリサーチして誰よりも先に知ってなきゃ気がすまなかったな。俺も意外とボンだったから、仮面ライダーの変身ベルトやタイガーマスクのソフビ人形用のリングなんかも持ってたんだぜ。今だったらオークションで高く売れたよな。
欲しいものを見つけ、それが一個しかねえ時は、売れないように棚の奥に隠したりもしたな。変身サイボーグ1号のグレイなんつうのはレアだからさ、すぐになくなっちまうんだよ。
ある日の高島屋おもちゃ売場での記憶・・・
女の子用のボードゲーム・デートゲームを手にした女の子 「パパこれ欲しい、買って」
パパ「まだ、早い」
今も昔も、立川のおもちゃ売場では、いたいけな子どもたちの悲喜交々の物語が展開されているのである。
ある程度の歳になると、南口に住んでる俺たちも、ガキだけで都会・北口のデパートに遠征したな。立川百貨展界の双璧、一方の雄、中武には階段のおどり場にオレンジジュースの自動販売機があってさ、三角すいの紙コップで飲むんだけど、上の方についてる透明な部分に噴水みてえに吹き出る様子が見えんだよ、食堂に行って高価なクリームソーダなんか飲めねえガキにとっちゃ10円というリーズナブルさがありがたく、必ず飲んでたな。思い出せば粉ジュースの味でしかねえんだけど。
もう一方の第一には屋上に続く階段で雛段式に金魚だとかはつかネズミなんかを並べてたよな。今で言うペットショップみてえなもんなんだろうけど、近頃見かけるようなスカした動物は皆無だったよ。さすがに学校の前で売ってたスプレーで色づけされたひよこは売ってなかったけどな。
地下にあったたいやき屋には「およげ!たいやきくん」が流行った時に階段の上まで行列ができてた。第一といえばもうひとつ忘れられない思い出が、高校生になって間もなく、友達が本を買うから付き合えつうんで4階の本屋に行った。図書カードを何枚も持ってくから参考書でも買うのかと思ったらよ、そいつが手にしたのは何と「135人の女友達」。俺も欲しかったなあ。男子はみんな欲しかったよな?ちなみに最近手に入れました。
第一のとなりにソフトクリームや生ジュースを売っているスタンドがあってな、ある日、俺は下駄を履いた親父とその前を通ったのよ。そしたらそこにバナナの皮が落ちててそれを踏んだ親父がすべった。バナナの皮ですべった奴をマンガ以外で見たのは、俺のこれまでの人生で後にも先にもその一回だけだよ。
その他、伊勢丹(現在のビックカメラ)の一階には立川初のマクドナルドがあった。初めて食ったハンバーガーは強烈にピクルスの印象が残り、最近まで抜いて食ってたな。昔のマックシェイクは今より濃度が高く(気のせいか?)、ストローに詰まっちまって酸欠になったもんな。
高島屋の地下には立ち食いのやきそば屋があった。育ち盛りの俺たちにはオアシスみたいな所で、紫色のプラッチックのコップに入った水を2杯、自分の前に置き、150円の大盛りをかっ食らい、続けて100円の並を食いながら、それをガブ飲みした。ソーセージ入りとかチャーシュー入りには目もくれねえ、そんな金があるなら、もう一杯!その店は玉川良一とガンツ先生に似たおっちゃん二人が仕切ってた。ある日銭湯でガンツ先生に会った。そしたら
「お兄ちゃん、いつもどうもねー」
俺は面が割れるほど通ってたつうことか!?
ある日、この店を出て友達に会った。
友達「お前、高島屋でやきそば食ったろ?」
俺「な、何で?」
友達「だって歯に青のりついてるもーん」
その頃、高島屋は夕方6時で閉店だった。その時間になると高島屋オリジナルメロディが立川に鳴り響いた。それは俺たちの住んでる地域にまで聞こえてきて、家路につく合図になってた。
(上)(中)昭和37年中武デパート 開店セールと屋上風景 (右下)昭和57年北口駅前
Photo(C)Tsurukichi Mita/Chubu bilding/Tachikawa Printing Factory.All Righits Reserved
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