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公私日記№1 [アーカイブ]

「公私日記」と研究会
                                   「公私日記」研究会会員  森信保

 「公私日記」とは、幕末争乱の時期に一豪農(名主)平九郎が、柴崎村の人々の日常生活を公務・家務を取り混ぜながら自由奔放に気の向くまま、主観を入れず客観的に記録したメモとして貴重な日記とされています。
 この日記が発見されたのは、昭和36年(1961)当時立川市の収入役だった(後に市長)鈴木清氏宅でした。鈴木家は長らく江戸時代名主を勤めた家柄で、老朽化した家を建て替えるため取り壊し作業中、天井裏にあった大きな箱の中から発見されたものです。
 日記が書かれた時代は、江戸後期の天保8年(1837)から安政5年(1858)の年間を23冊に綴り込まれた冊子で、発見したときは百年以上も経過していたため、かなりの虫食いと、湿気のため堅い板状の冊子でひどい状態でした。
 この日記の解読に取り掛かったのは、昭和45年(1970)当時私が社会教育課に異動になり取り組んだ記憶があります。時はちょうど日本の高度成長を続ける時代で、歴史資料や民俗的な文化財など失われつつある変化の時でもあり、とくに、調査、収集保存の必要な年代ともいえました。
 この日記の発刊については、歴史的幕末混迷期の貴重な内容を一般の市民の人々に公開し、また、多方面に活用をして頂くために、当時「立川市史」の編集にあたられた水野祐早稲田大学教授に解読を依頼したのでした。とくに解読に関われた関係者には、虫食いと板状のはがし、達筆の特徴には大変苦労されたと聞いております。
 この日記の公刊とその継続については、近世史と地方文書の専門家でもあります伊藤好一明治大学講師を中心に多くの方々の協力により、昭和46年から10年計画で発刊を進められ、昭和60年までに終了いたしました。
 毎年の発刊につれて、一般市民の関心も高まり、教育委員会では「公私日記」の解読と地方史の研究の入門講座として、伊藤好一先生を迎え公開講座を実施しました。
昭和51年(1976)6月講座終了後参加者の継続熱望と、伊藤講師の熱心な指導などにより自主学習サークル「公私日記研究会」として発足しました。
 以来、地道な研究会ですが、今日まで約30数年間にわたって毎月2回の輪読会をはじめ、展示・研究発表会など継続して活動しています。
 今後、研究会員諸氏のそれぞれの研究分野に関しての考察が紹介されていく筈です。


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