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サンパウロの街角から№3 [雑木林の四季]

  愛国心を育む             

                                       在ブラジル・サンパウロ      エッセイスト   ケネス・リー

 

 ブラジルとアメリカは歴史の流れにあつて似るところが多い。ヨ一ロッパ諸国の海洋進出のブ一ムで北と南アメリカ大陸発見、植民地となる、宗主国から独立、アフリカ黒人奴隸の移入と解放、そして移民の国などと殆んどが同じ時期に前後して起きている。
 異つているのは、ブラジルはポルトガルからの移民が主でカトリック信徒であり、アメリカはオランダとイギリスからの移民が主でクェ一カ、ピュ一リタン新教徒である。その後は人種の坩堝と云われる程に世界各地からの移民により混血が進んでいる。独立国となるにブラジルは宗主国のポルトガルに一方的に分離独立宣言ですましたが、アメリカは宗主国のイギリスと一戦を交えている。奴隸解放ではブラジルは時の摂政プリンセス‧イザべルが法令にサインし公布するだけで成つたが、アメリカは国が二つに分裂する程深刻な事態となり南北戦争となつて解放が成つた。アメリカ人が好戦的性格を持つているのか、ブラジル人はより温和だとか、或いは国家形成の過程に於いて宗教的因素による文化の違い、又は時の環境によるものかなど議論の余地はあろう。
 アメリカは植民地から脱して自已の国家建立の過程にあつてヤンキ一魂が形成され、アメリカ人のアイデンティティとなり、自らをアメリカ人と称した。だがブラジルではそのようなことは起らなかつた。多人種の平和的共存こそあれ、共同体とする国家意識はむしろ稀薄であつた。私がブラジルに移住した1963年頃までは「お前は」と問えば「私は日本人の後裔です」もしくはドイツ人の、イタリヤ人の、ポルトガル人の後裔ですと返事が返つて來た。「私はブラジル人です」と答える人はいなかつた。

 1964年にブラジルに軍事革命が起つた。左傾化する政府を倒して軍事政権が樹立した。革命と云つても騷騷しく血生臭いものではない。その朝、町は静まり返つていた。街角には武装した兵隊が立つていた。道を步いている人は殆んどいない。ラジオの放送で首都のブラジリヤで政変が起つたと告げていた。人びとには外に出ないようにと注意を呼びかけていた。サンパウロ州は伝統的に護憲派である。リオ‧デ‧ジャネイロ州は急進派である。各各に属する軍団が州界に兵を進め、一戦を交じえる所まで接近した時、双方の司令官が亙いに電話で連絡をとりあつた。「こちらは今xx市に入つた」「そこで兵を止めろ。今ブラジリヤで協議中と情報が入つている。成行きを見よう。又連絡するから撃つな。撃つ時は知らせる」「了解」と両軍は対峙のまま様子子見となつた。数日後、大統領がウルグアイに亡命し、大統領府の開け渡しで政変は血を流さずに終つた。州界に対峙した両軍は約束通り撤兵した。こちらもメデタク終つた。日く、ブラジル人は平和の民族であると。
 その軍政権が為した第一の政策は「愛国心」であつた。「我らの国を愛しよう!」をスロ一ガンに叫んだが誰も反応しない。国家意識が稀薄なのは前述のとおり。困つた軍政権が考えついた妙案は「我らブラジルの国旗を愛しよう!」であつた。公共機関,学校は勿論、家毎に国旗を掲げる運動を始めた。ラジオとTVは国旗讚歌(Hino A Bandeira)を24時間流した。学校では国旗掲揚式を行い生徒たちはこの讚歌を斉唱した。国旗のバッチを配り国民の胸を飾つた。
 この国旗を愛しよう運動は成功し、愛国運動に発展して行つた。そのよき例が1970年のWorld Cup Football Championship が挙行されている時に証明された。ブラジルチ一ムの出場する日は任意休日となり、店先に据えたTVの前は人びとがたかり寄り、通るバスまでが暫く停車して乗客に楽しませる。町中は「ブラジル‧チヤンピオン!、ブラジル‧チヤンピオン!」の叫び声に湧き返つた。「ブラジル」がかく叫ばれたのはこの時からであつた。戦爭を知らない国民が国家意識に高揚するのはスポ一ツしかないかも知れない。平和とはこう云うことを指すのだらう。こうして愛国心はブラジル人の心の中に根付いていつた。今では「お前は」と問えば「わたしはブラジル人です」と答える。
 軍政権が次に打つた政策は「ブラジル人よ、もつと働こう!」であつた。
 ブラジルは昔から土日休みの週二休制である。これに国家公休日とカトリック教の祭曰を加えると一年の約半分は休みになつてしまう。私がこれこそパラダイスと叫んでこの國に定住を決めた一因でもある。特にカトリック教には聖者に敘せられた信徒が多く、わたしたちの知らぬ聖者がたくさんある。面白いのはこれら祝祭日が週間にあると、その前か後の日も休みにして週末に結びつけて連休にしてしまう。當然国は富強になるはずはない。だが創造の神はこの国と民を愛でたのだらう、自然の惠みは豊かにして餓死をしたことを聞いたことがない。祝祭日を減らし今では年20日程に限定した。と同時に公共施設、工業の近代化を推進した。ブラジル人は働いた。その実は40年後に結ばれた。先進国と云わぬも今はBRICSの一員と先進国のサロンに出入りするようになつた。

 ここで考える。確か90年代だつたか、日本の国會で「日の丸」と「君が代」を国旗、国歌に制定する法案を裁決した。世論が真つ二つに分れ激しい論争が起つた。今でもその論争は続いている。確かに「君が代」は国歌としてその歌詞は考えさせられるものがある。歌詞の中に「国」がない。「君」より「国」の時代となつた。立憲君主制度はよいとして、主権在民の民主主義の時代である。あの頃に出た小咄に「君を愛しているよ」と甘い囁きをささやいたら、「私?、天皇?どちら?」なんてがあつた。愛国そして国の隆盛と永遠を謳う国歌が、と思う。外国人が論ずるものでないことだが。ごめんなさい。「日の丸」は美しい国旗である。清潔である。日出ずる国にふさわしいと思う。それが過去の侵略のシンボルだつたから侵略された国の人たちに気兼ねする云云聞くが、過去の過ちをキチンと清算し、友好平和の国、日本の国旗である「日の丸」と新しいイメ一ジを与えることは可能である。
 重要なのは国民のアイデンティティである。アイデンティティのない国民は国を亡ぼす。アイデンティティは国民に誇りを持たす。誇りは愛国心となつて国家は盛隆となる。愛国心を高楊する余り「命は鴻毛より軽し」、「玉碎」を美化する危險はある。
 一方アイデンティティの稀薄を「平和な民族」と自賛するのも納得できない。

 誠実、襟持、勤勉、倹約は永遠の美徳である。それが真実の平和と進步をもたらすのを疑わない。これらは個人の問題であると同時に国家なる共同体の問題でもある。その基いとなるのが愛国心ではなからうか。
 ブラジルの国民がこぞつて「ブラジル‧チヤンピオン」と叫んでいる間、ここに平和があり愛国心に憂いはない。国は安泰である。
 


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