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浜田山通信№4 [アーカイブ]

毒蝮参上                           

                                                                                       ジャーナリスト  野村勝

 全国どこでも同じだが、商店街はクシの歯が抜けるように古い店が姿を消していく。駅前から北へ井の頭通りまでの浜田山銀座商店会(メインロード商店会とも云う)でも「ペットの楽園」、ブティック「PINKs」がやめた。

 ペットの楽園は昭和52年ライブタウン商店街ができた時からの店だが、金魚やメダカ、ペットフードなどはスーパーでも売っており、店主も高齢化したので引退と云うことになった。あとには6月15日から有明堂鍼灸・接骨院が開業した。マッサージ、ハリ灸をやる店は、この商店会の50店ばかりのうち5店を占める。

 PINKsのあとは久しぶりに子供服店がはいった。ブティックはこの狭い地域に28店もあるといわれたが、さすがに飽和状態のようだ。廃業するのは要するにやっていけないからだが、中でも気の毒なのは、ウナギの浜田屋さんのケースだ。

 浜田山駅から区のコミュニテイバスすぎ丸が阿佐ヶ谷まで行く。駅を西に向かって出るとすぐ右折し、人見街道でまた右折するが、この斜めの道を昔は地蔵通りといった。人見街道(大宅八幡から府中まで)の角にお地蔵さんが並んでいたからだ。いまは高井戸よりの松林寺境内にある。この通りの中ほどに仕舞屋があり、それを不動産屋が買収して商店4軒分に建て替え分譲した。浜田屋さんは板前の修業のあと30歳をすぎて独立した。近所の商店主たちとのつきあいもよく、なにより神輿かつぎが大好きで、浜睦会に入会し、祭礼には祭ばんてんを着込み、威勢よく町内を練り歩いた。ただ商売のほうはかならずしも順調とはいえなかった。

 私の田舎(福井)ではウナギを食べることがなかったのでよくわからないが、江戸っ子には昔からごちそうだった。土用の丑の日はもちろん来客があると、きも吸いつきの鰻重をとった。落語にも、ウナギに逃げられて大騒ぎになる「鰻屋」や「鰻の幇間」「後生鰻」など名作、名演がある。それが近年は中国から真空パックの蒲焼きが大量に入り、スーパーで売られるようになると、値段的に太刀打ちできなくなった。どの街にも1軒や2軒あったうなぎ屋は店をたたんだ。

 浜田屋さんは63歳、つらいことに肺ガンが見つかった。奥さんとも別れている。店を隣のいろは鮨に売り、ケアつきホームに入った。いろは鮨は有名店になり、2代目もがんばっているが、手に職をつければ何とかなった時代は、遠い昔のことである。

 浜田山のもう1軒のうなぎ屋さか井は繁盛中。6月22日にはTBSラジオ大沢悠理のゆうゆうワイドで毒蝮三太夫がきて大賑わいだった。


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