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我が生涯の音楽ノート№2 [雑木林の四季]

歌曲「さとうきび畑」               

                                                                              音楽会プロデューサー 阿久澤

 “ざわわ、ざわわ・・”の繰り返しの歌詞で始まる歌曲「さとうきび畑」(最近では森山良子が歌っている)が誕生したのは40年前の1967年でした。

 作曲家の寺島尚彦が主催する楽団リズム・シャンソネットが関西地方の演奏旅行をしていたときのことでした。寺島尚彦は新しい日本歌曲の創作と普及に力を入れて、それまでにも数多くの歌曲を手がけてきましたが、その数年前、まだ本土復帰前の沖縄を旅行したときの印象が心に深くしみついていました。それで、この演奏旅行では沖縄に関連した新曲の創作、演奏を考えていたのでした。

 ところで、この演奏旅行には歌手の田代美代子がゲストとして参加することになりました。当時、田代美代子は、まだ明治学院大学の学生でしたが、レコード大賞新人賞を受賞し、すでにビクターの専属歌手になっていました。そこで、寺島は彼女のために新曲の創作を考え、作詞、作曲をしたのがこの「さとうきび畑」でした。

 田代美代子にとって自分のために新曲を与えられたことはたいへん光栄なことでしたが、困ったことには彼女はギターが弾けませんでした。そこで演奏旅行を前にして連日・連夜のギター演奏の特訓を重ねての出演となりました。

 公演での彼女はこの歌曲の主題である“戦士した父親への思慕の思い”を感性豊かに表現し、劇的な舞台を作り出して聴衆を魅了したのでした。

 田代美代子はその後、病のため歌手活動を中断しますが、約10年のブランクを経て復帰し、福祉活動にも手をひろげています。

 おわりに、彼女のCDに記載の二人のコメントを付記しておきます。

 1967年5月「さとうきび畑」は、田代美代子さんの唇からこの世に生まれました。それから35年余りの時が流れたのに、その間、地球に戦争のない日はありません。平和を訴え、希う歌として、この歌はこれでも短すぎるのでしょうか。 2002年9月 寺島尚彦

 昔、さとうきび畑は戦場だった。父親の顔も知らずに育った娘はさとうきび畑にやってくる。さとうきび畑が風にざわざわとなる中から父親の声が聞こえてくる。“ふたたび戦争のない平和なふるさとであるように”と。1967年5月、私は寺島尚彦先生の平和への願いをこめたこの歌「さとうきび畑」に出逢った。  田代美代子

 

 


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