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昭和の時代と放送 №1 [アーカイブ]

時間メディアの誕生・プロローグ
                              元昭和女子大学教授 竹山昭子  

 日本でラジオ放送が始まったのは1925(大正14)年3月22日、芝浦の東京高等工芸学校の建物の一部を借りての発信であった。そのときから70余年の歳月を経て、いまやテレビの時代から多メディア時代に移行した。この70余年間の電波メディアの興亡の歴史は常に技術革新の歩みとともにあり、多くのマスメディアのなかで最も変容著しいメディアであるといってよいだろう。
 マスメディアの研究では、"あるメディアの全盛時代にはその実態を把握することは難しい、次世代のメディアの出現によって、初めて本当の姿が見えてくる"といわれる。
 そのメディアがどのようなメディアであったか、どのような役割を持ち、どのようなメッセージを伝え、どのように人びとに受け入れられていったかは、次のメディアの出現によって実態が見えてくるというのである。
 あるメディアの全盛期にはそのありようを当然と思って受容しているが、次世代のメディアの出現によって、広い視野から客観的、相対的に考えることが可能になる。
 その意味で、この「ネットマガジン」の基となっている拙著『ラジオの時代』は、放送といえばラジオを意味した時代の再検討である。テレビの出現によってラジオは大きく変容を迫られ、受け手の意識も変化した。現在、放送といえばテレビを連想するが、日本のテレビはラジオ30年の土台の上に築かれたのである。そしてそのテレビが、通信と放送の融合というメディア産業変貌のなかで、単なるテレビの一言ではくくれないものになろうとしている。
 そのような趣旨から、筆者はいま改めて、日本のラジオはどういうメディアであったかをこれから32回にわたり、振り返ってみたいと思う。                                                        
 

文明の利器「ラジオ」への期待
 日本のラジオ放送は欧米諸国に追随して始まった。日本でラジオ放送が開始されたのは1925(大正14)年だが、海外では、これより5年前の20年にアメリカが世界で最初のラジオ放送を開始しており、次いでイギリス、ドイツ、ソビエト、フランスなど15ヶ国がすでに電波を発信していた。
 こうした情報は日本にも伝わり、人びとは"線がないのに遠くのものが聞こえる文明の利器"に大きな関心を寄せ始める。1928(昭和3)年に刊行された『東京放送局沿革史』はその緒言で、日本のラジオ時代の到来を、"ラジオの民衆化"という表現を使って次のように述べている。 

 世界戦争の終結を告ぐるや滔々(とうとう)たる勢を以て無線は米国に勃興した。 太平洋を隔てて隣する我国がその波及を受けたのも洵に自然と謂はねばならぬ。(中略) 米国に於ける放送開始は各地の企業熱を一斉に刺戟すると共に一転して我国の無線放送の機運を促進しラヂオは愈々(いよいよ)民衆化して来た。このラヂオの民衆化は民間の製造工業界に新らしき目標としてのラヂオ時代を実現せしめ、東京放送局創設の機運は端しなくも、ここに醸成された。(註1)                                  

 第1次世界大戦で活躍した無線電信が戦後は民間に利用され、それまでのモールス信号に代わって音声をそのまま伝える無線電話の研究が世界的に高まるのだが、そのなかからラジオ放送が生まれ、アメリカでの実用放送開始が"ラジオ民衆化"への期待をもたらしたというのである。                                                註1・越野宗太郎編 『東京放送局沿革史』東京放送局沿革史編纂委員会 1928 P1                      『ラジオの時代・ラジオは茶の間の主役だった』 竹山昭子 世界思想社                    
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