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立川市長20年の後に №1 [アーカイブ]

静かな老々介護の日々
                                     前・立川市長 青木 久
  老妻を介護しつつ、静かな時を過ごすようになってから、もう二年になる。
 20間、市長として、立川の市政をお預かりしていた。
 当年84歳、一人の市民に立ち戻った一日一日が大切だ。
 妻は数年前、脳梗塞で倒れ、以来、立ち居振る舞いが不自由になった。ともに、手をとり人生を歩んできた戦友の世話をするのは私のつとめだ。
 心意気はあるのだが、いざとなると、いささか心許なくなることも多い。妻に手ほどきをしてもらって、ようやく用が足りることもある。そのおかげで、かなり世話取りにも熟達してきたのではないかと思う。
 とはいえ、一日おきに訪ねて下さる介護ヘルパーさんが、てきぱきと支援の手を差し延べてくれている。ありがたいことだ。
 老々介護。
お互いに一言二言交わす。多くを語ることはない。しかし、その短い言葉の中に、二人の思いがぎっしりと詰まっている。
 向かい合って黙っていても、実に多くのことを確かめ合っていることか。
 連れ添った夫婦とはそうしたものだと実感する。
 わが家は、300年前、村に住み着いた先祖がのこしたものだ。ここに私は育ち、妻を迎え、私は役所に出かけ、妻は小学校の教壇に立ち、子どもたちは巣立っていった。そしてあおば保育園に隣接している。
 朝早くから、子どもたちが通園してくる。いくつもの幼い歌声が重なり合って聞こえてくる。
 音楽担当教員だった妻は、それにあわせて口ずさんでいることがある。それは満ち足りたひとときだ。
 子どもたちの成長は早い。入園して数ヶ月で見違えるようになる。あいさつ・しつけ・絵画・音楽・踊りと学習する。子どもたちは、明日に生きている。その子どもたちを眺めるわれら二人には、過ぎし昨日を語り継ぐ明日がある。
 子どもたちの成長にあやかり、老人なりの生涯学習に取り組もうと思った。そこで書道サークルに入り、近くの上砂会館で励んでいる。立川市の老人学級の課程を終えた人たちが、サークルをつくり、先生を招いて授業を受けているのだ。
 筆を手にし、白紙に向かう。自分で選んだお手本を眺め、字を読む。
 「徳不孤 必有隣」(論語・里仁扁)
 そして一気に筆を下ろす。
 手本の意味するところは、「本当に徳のある人は孤立したり、孤独であるということは無い」ということだ。
 書き上がったのは、そう立派な筆跡とは言えない。つと横に立った、先生に褒められた。
 「青木さん、よく書けていますよ。お年寄りは、字の形や筆法を学ぶより、ご自分を書いて下さい」
 先生は、褒め上手だ。いや、励まし上手と言うべきだろう。でも嬉しかった。そこにあるのは、紛れもない私自身の字だったからだ。明日もまた、書き続けようと心に誓った。
振り返ると、私が今日あるのは、実に多くの人に導かれ、支えられ、ともに手を取り合って歩んで来たからだと思う。
 今は亡き祖父・両親・親戚・隣人・恩師・学友・家族、そして最も身近な妻がいたからだこそだ。
 私は、自らの足跡をたどってみようと思い立った。
 それが明日につながる私の里程標だ。
 そしてそれは、多くの人々への感謝の証でもある。

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