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サンパウロの街角から№2 [アーカイブ]

散步もまた亦樂しからずや
                     ブラジル サンパウロ・エッセイスト ケネス・リー


  ブラジル、今は冬だ。今年の冬はいつになく冷たい。ときどき狂ったように真夏を思わせる日が割りこむ。不安定なることはなはだしい。
  僕の家から步いて15分位の所にイビラプエラ公園がある。デッカイ。
 有名なビエナル画展はここで開かれる。プラネタリュ一ム館、近代美術館、アフロ芸術館が公園のなかにある。
 北側に大きな湖がある。湖のかたわらに日本館がある。茶室があり、生け花、よろいかぶとが飾ってあると聞く。入場料を取るので入ったことはない。湖の南側に柳や火焰樹の間に混って桜の樹が十数本植えられている。沖縄桜とか云っていた。
  ときどき、この公園に散步する。散步と云つても昔軍事教練で鍛えられた行進もどき、イチニ、イチニ、15分で1キロの速さである。散步とは一寸異趣のものだ。一巡するに約2時間かかる。
  步いていておもしろいのは過ぎゆく人たちを眺めることである。ヨボヨボの老夫婦から、勢いよく走り拔ける若者、犬を連れているのもいる。可愛い子犬はハァ一ハァ一と息を切らして主人に引張られている。なかには大きなどう猛そうな犬を連れている。犬に引きずられているようで、どっちが主人だかわからない。多くは男女仲良く手をつないでいる。子ども連れはほとんどいない。
 ブラジル人はお喋りの人種である。睦まじく喋りながら楽しげに散步している。ふと、何を喋っているのだろうかとげすな氣持ちを起して耳をそばだてる。
 「うちの兩親は田舍で百姓しているの」
 「ウン···」
 中年のカップルで仲良く手をつないでいる。一寸待てよ。夫婦だったら女房の里は知っている筈だが。とすれば···とつい勘ぐってしまう。
 そこらで知り合ったのだったら、指をからませて一体どうなっているのだろうか。
  若い女が後ろに束ねた髮を左右に振りながら足早に擦り拔けて行く。後ろ姿、びしっと太腿に張りついたスポ一ツ·ウェア一である。腰がくびれていいスタイルだと、つい見とれてしまう。 一人で走っているのは一寸寂しいやら、モッタイないやら。
  気が散っていかん。前を向いてイチニ、イチニと心の中で拍子を取り直し、こちらも急ぐ。
 一寸わからないことがある。こちらは引退の無職である。だから混む週末を避けてウイ一ク·ディに行くのだが、若者がウイ一ク·ディのこの時間に、学校に行かず、働きにも出ないでとは、よっぽど良い身分か、怠け者だろう。
  公園に散步、ジョギングに行く人たちに共通の目的がある。健康!寒い朝に一寸汗ばむ軽い疲れは気持がよい。健康で長生きしたいのは人情だろう。                                                          
公園での散步は、もちろん哲学·思索の時間でもある。
  最近の世界の政情を見るに、今流行りのデモクラシ一とはなんだろうかと考える。
  デモクラシ一はギリシャ語のDEMOS(人民)+KRATOS(ル一ル)の合成語である。國家の政策、社会規制を全公民が関与し、多数決の法則に従う意味を持つと云う。それだから古代ギリシャ、ロ一マに元老院制度があつた。その精神はフランス革命のスロ一ガンにあつた。「自由·平等·博愛」。明治維新の時、五條の誓文に「広く会議を興し万機公論に決すべし」があった。アメリカの独立宣言は明快である。冒頭に、神は人間を平等に創造された。人権の平等を訴えて、あの有名な「人民の、人民による、人民の為の政府」で結んでいる。それをリンカ一ンは南北戦争が終った時GETTYSBURGの演說でこれを再確認している。このように、デモクラシ一はのべつ新しいものじゃない。今時政界を喧騷しているのは、よき昔へのノスタルジャからだろうか。デモクラシ一は街角の怪しげな骨董屋にゴロゴロしている。
  党独裁の共產主義国家にも彼等なりのデモクラシ一がある。議会制、選挙制、多数決、みんなそろっている。やり方は第二の問題だ。国民のことはあんまり構つてはいかん。だがこれらの制度と自由、平等、博愛の看板は降ろさない。降ろしたら独裁政権と非難されるからだ。
  アメリカは1960年代の終り頃からデモクラシ一の押し売りに精を出している。あの頃にアメリカに目をつけられたお客は皮肉にもみな軍事独裁政権だった。カ一タ一の人権外交政策、クリントンのグロバリゼイション政策、ブッシュになるともう目茶苦茶である。人の家に土足で上り荒してデモクラシ一を押し売りするのだから。
  台湾の民主化は国際人権機関から相相当の評価を得ている。異質のものを感ずるデモクラシ一であるが。2008年3月の総統選挙で香港生まれ、アメリカのグリ一ン·カ一ドを持った者が選出された。選挙による多数決によったのだからデモクラシ一であろう。
自分の国の政治を外国人に任せる程に台湾人はお人好しなんだろう。あたかも一つの會会社の経営を株主でない外来取締役を雇って任せるようなものだ。その経営方針がまたふるっている。預かつた会社を他社と合併して潰してしまおうとしているからだ。出資した株主そっちのけである。これも経営の一樣式かも知れない。相手は党独裁の共產主義国家である。共產主義政治はベルリンの壁崩壞で破產したにもかかわらずである。
そのうちに、朝起きたら元も子もなくなっていたと泣き面する日が来るかも知れない。軒を貸したら母屋まで取られたとことわざにある。他人事でないだけにじれったい。
  1985年5月8曰、ドイツ敗戰40周年に、時の大統領、R、ヴァイゼッカ一が演說をした。「過去に目を閉ざす者は現在に盲目となる」と。

  朝陽の柔い陽射しが眩しく公園の木々の深綠に映える。平和な公園の朝である。いつしか公園を一巡した。出口近くの半円に盛り上がつた鉄の橋を渡る。ガラン、ガランの足音が響いて我に返った。思索は止ってしまつた。欄干に寄って下を覗くと池の水面に大きな鯉の群が泳いでいる。投げられたパン屑にいっせいに爭ってパクつく。だが仲間喧嘩はしない。この世の中の平和は池の中の鯉にだけある。
  公園を出る。殺人車がピュ一ピュ一と風を切って走り去って行く。危ない。デモクラシ一と同じく危い。


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