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こころの漢方薬№3 [アーカイブ]

読書の効用           元武蔵野女子大学学長  大河内昭爾

 今年(平成4年)になって私の身辺にはさまざまなよくないことがおこった。鬱病にならないでいるのは、ひとえに私の神経質なひよわな反面にひそむ楽天性のせいだろうが、一方では床に就いてあれこれ考えてふさぎこむ前に興味ある本に付き合えたことだった。それらの木に出会えたきっかけは、以前読んだ司馬遼太郎氏の『翔ぶが如く』全十巻との付き合いの経験である。 

 三、四巻目あたりから一巻終わるごとに心細くなって、最終巻の西郷の死と同時の本との別れは、西郷そのものとの別離であり、一つの時代と別れるような寂しさだった。まだあと何巻も残っているというのが何よりもうれしいというのはあまり経験しないことで、中学時代『大菩薩峠』に夢中になって以来の気分である。 

  それで『翔ぶが如く』が西郷隆盛を描いているように、同じ明治維新を題材の、そして西郷に対する桂小五郎すなわち木戸孝允を描く『醒めた炎』全四巻(中公文庫)をこころみに手にしてみたのである。ところがこれがたいへん面白い。薩摩に対して長州から見た維新であり、『翔ぶが如く』の反面を読む興味すらある。

 著者の村松剛氏は筑波大教授の仏文学者で、文芸評論家として有名だが、何しろ硬派のもの書きのイメージが強い上に、余りの大冊に私ははじめ敬遠した。しかし文庫判4冊にまとめられたのを機に手にして、その思いがけぬ面白さにひきこまれていったのだった。文庫判とはいえ500頁、600頁に及ぶ厚みはこの場合負担というより頼もしいばかりである。不安をかかえこんだような日中から逃げて、ベッドに入るのが何よりの楽しみだった。「新生日本の夢と苗と華」と第三巻の帯にしるされているとおり、それが日中のわが不安を超えるダイナミックな興味に、まさにに私はこの充実した評伝を心の漢方薬と頼もしく感じるばかりだった。

 頁をくりながら、剣客柾小五郎が日本の運命左右する憂国の政治家として維新の渦中をくぐり抜け、新時代の基礎づくりをはたしていく激動の過程が、個人の評伝をこえた歴史の胎動そのものとして、ドラマチックに描かれているのに圧倒されひきずりこまれた。 しかしいま私がここでしるしたかったのは、『醒めた炎』の表面的な案内ではない。読書こそ心の漢方薬であり、ストレス解消の即効的な見事な症例だといいたいだけで、臨床実例の一つとしてとりあげてみたのである。『心の漢方薬』弥生書房 
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