書(ふみ)読む月日№1 [アーカイブ]
願はくは ①
日本私学研究所特認研究員 池田紀子
願はくは花の下にて春死なむその如月(きさらぎ)の望月(もちづき)のころ 西行
大好きなグノーの「アヴェマリア」が、湯河原の町に流れるのは、決まって毎日夕方の五時。スピーカーからの音楽は少しずれる感じではありますが、耳に心に染みいっていきます。
折しも窓外に広がる相模湾に夕日が沈みかけ、遠く望む伊豆半島の山々が茜色に染まります。言葉などではなんとも表現できない、そのグラデーションの妙は、一瞬ではありますが、一瞬であるが故の美しさでもあります。
晴れた日には、まるでふっと浮いているように初島が目の前です。初島のずっと後ろに水平線が見えて、その雄大さに心が落ちつくのです。
大島も間近に見られます。御蔵島(みくらじま)や利島(としま)が、ぐっと手前に来たりすると、その美しさに見ほれてしまいます。
一度だけ、初島に熱海から二十分ほど、船に揺られて行ったことがあります。
観光と人びとのふつうの暮らしに、なにかバランスの悪い中にも、なかなか趣深い感じを持ったものです。
熱海の梅園は有名ですが、数年前から、勝るとも劣らない湯河原梅林が町役場の計画で幕山(まくやま)にできました。ここは温泉場とは、反対の山です。切り立った岩山もあって、ロッククライミングの名所でもあります。幕山には、毎年、少しずつその木の数も増えています。山全体を覆うように、白や紅そしてピンクの梅の花が、いっせいに咲きそろう三月はじめには、各所からの観光客で賑わいます。
夕方から夜に向かって、ライトアップされ、山全体が薄墨色に浮かび上がり、それはそれは、えもいわれぬ幽玄の世界を、繰り広げてくれます。私たちの大好きな場所の一つです。
十年前、温泉と海とミカン畑に、すっかり惹かれた私どもは、現実から少しだけ離れ、安らぎを求める時を持ちたいと考え、明日への力を蓄え、体や心を癒したりする場所をこの地に決めたのです。以来、少し疲れを覚える時や、気持ちがざわつく時の、格好の逃げ場にもなっているのです。
このような住まいを寓居というのでしょうか。わび住まいといえばいいのでしょうか。
鎌倉時代初期の歌人であり随筆家である鴨長明(かものちょうめい)(1152頃~1210)は、『方丈記』(ほうじょうき)のなかで、住まいについて記述しています。
こゝに六十の露消えがたに及びて、更に末葉のやどりを結べる事あり。いはば狩人(かりゅうど)の一夜の宿りをつくり、老いたる蚕(かいこ)のまゆを営むがごとし。これを中ごろのすみかになずらふれば、また百分が一にだも及ばず。
熟年を迎えると、壮年期に必要とされた住居の規模を縮小し、猟師が野営したり、カイコが繭を紡ぐように、こぢんまりとしたものでさしつかえない、と言っているのです。
いま日野山の奥に跡をかくして後、南に葭(よし)の日がくしをさし出して、竹の簀子(すのこ)を敷き、その西に閼伽棚(あかだな)を作り、中うちには西の垣に添へて阿禰陀(あみだ)の童像を安置し奉り、落目を受けて眉間(みけん)のひかりと す。かの帳(とばり)のとびらに、普賢(ふげん)ならびに不動の像をかけたり。北の障子の上に、ちひさきたなをかまへて、黒き皮籠三四合を置く。すなはち和歌、管絃、往生要集(おうじょうようしゅう)ごときの抄物(しょうもつ)を入れたり。 傍(かたわら)に琴、琵琶、おのおの一張を立つ。いはゆるをり箏(しょう)、つぎ 琵琶(びわ)これなり。東にそへて、わらびのほどろを敷き、つかなみ(藁の敷物)を敷きて床とす。東の垣に宙をあけて、ここに文机(ふづくえ)を出せり。枕の方にすびつあり。これを柴折(しお)りくぶる便(よすが)とす。庵の北に少地(しょうじ)を占 め、あばらなる姫垣(ひめかき)を囲ひて園とす。すなはちもろもろの薬草を植ゑたり。仮の庵(いおり)のありさまかくのごとし。
鴨長明は五十八歳の時、京都山科の日野山のほとりに、庵を構えました。室の中央に炉を設け、壁には阿弥陀仏と、普賢菩薩と不動明王の二幅の仏像をかけてあります。ここには生活に必要なものが、全て簡素に準備されています。つまり、ここで書かれているのは、シンプル・ライフの展開です。
こうした住まいにあって、世間の無常を静かに眺めながら、暮らしたのです。これは現代の熟年層にとっても、なかなか示唆に富んだ暮らしぶりです。 『書(ふみ)読む月日』ヤマス文房
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