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司馬遼太郎と吉村昭の世界№1 [アーカイブ]

司馬遼太郎と吉村昭の歴史小説についての雑感1 

                                        エッセイスト    和田 宏

はじめに

昭和40(1965)年に出版社に入社して、定年まで編集者を生業(なりわい)とした。その職業を通して、司馬遼太郎さんとは30年あまりを、吉村昭さんともほぼ同じ年月をお付き合い戴いた。以下は体験を踏まえて、両者の歴史小説について思ったところを述べてみようとする試みである。もとより「雑感」であって、作家論、作品論に踏み込む素養も度胸もない。両者をそばで見てきた実感からの私見を、取りとめもなく述べるほか能がないが、そのあたりをご理解賜りつつ以後数回にわたってお付き合い願えれば幸いである。

この「雑感」の結論を先にいうと、司馬さんの目指したのはあくまでも「小説」であり、吉村さんの志は「文学」にあった。ここで小説といい、文学という言葉にはいかなる意味においても価値を含ませるものではなく、評価とは無縁であることをまずお断りしておく。生前のご厚誼に甘えて、ここではあえて司馬さんといい、吉村さんと書く。そのほうが「雑感」という雰囲気に合っていると思うからで、ほかに意味はない。

 

歴史小説と時代小説

最初に、これから述べていくことと関係があるので、歴史小説と時代小説の区別をこの場だけの取り決めとして簡単に記しておく。

一言でいうと、歴史小説とは、歴史的事件、あるいは歴史上の人物をテーマにした、事実にもとづく「小説」である。なにを当たり前のことをといわれそうだが、じつはこれが曲者で、こう簡単に言い切るには大きな問題を内包しているものであることはのちに述べる。

対して時代小説というのは、歴史上の時代、人物を借用して構成された小説である。そこに含まれる小説のタイプはずい分と幅が広い。まず江戸期の市井の人情を描いた山本周五郎や藤沢周平(両氏の作品世界はここに留まらないが)の名作を思い浮かべられる方が多いであろう。また実在の人物を主人公にしても史実から離れて、創られた逸話で構成する「水戸黄門」や「大岡越前」などは昔から時代小説の人気者である。池波正太郎の「鬼平」こと長谷川平蔵もおなじ仲間である。

剣豪ものなどはどれだけ書かれてきたことだろう。宮本武蔵や柳生宗矩から架空の剣士たちまで小説の中で暴れまくってきた。

半七捕物帳に始まる銭形平次、むっつり右門などの捕物帳も人気はすたれない。鞍馬天狗といった主人公は架空だが、時代背景は事実をなぞったものなどもたくさんあり、数えていけば切りがない。

余談になるが、背景に使われる時代は圧倒的に江戸期で、これはまた映画やテレビドラマになるから、多くの江戸ファンが生まれた。その時代の風俗については、とくにテレビなどは誤りだらけであるとよく指摘されるが、しかし、たとえば手甲脚絆にわらじ、韮山笠にぶっさき羽織の旅姿などはテレビで見慣れているので、小説に出てきてもおおよそ想像できるのに対し、明治から大正の風俗のほうが読者には頭に描きにくくなった。パナマ帽やインバネスといわれてもわからない。

若い読者になると、『伊豆の踊り子』の頃の学生の風俗、マントや朴歯の下駄に注釈がいる。いや、もっと近く昭和の30年頃の日常生活でさえわかりにくくなった。夏の縁台や盥での行水、冬も火鉢が姿を消して、五徳や十能は死語である。歴史は近い時代ほど実感しやすいとはいえないことがわかる。

さて、司馬さんが世に出た直木賞受賞作『梟の城』は16世紀、安土桃山期が舞台の、歴史小説ではなく、忍者を主人公にした時代小説であった。

  
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