SSブログ

雨の日は仕事を休みなさい№3 [アーカイブ]

酒に逃げてみなさい(本来の自分からは逃れられない)

                  鎌倉・浄智寺閑栖  朝比奈宗泉

 私がTBSで『兼高かおる世界の旅』を制作していたころ、いろいろな国を旅して歩きました。兼高さんは時間に厳しい方で、朝の待ち合わせ時間に五分でも遅れると、「あなたたちはパンクチュアル(時間通り)でない」と怒ります。それは無理もありません。現地の取材先スケジュールの調整は、番組の協力会社だった航空会社のパンナムがやってくれていましたから、スケジュールを絶対に狂わすわけにはいかないからです。 

 制作スタッフで、いつも一緒のカメラマンはお酒が大好きで、その日の撮影が終わると毎晩お酒を飲みに出かけていました。現地のダンスホールに行き、                                                                                          そこにいる女性と一緒にお酒を飲んで、疲れを癒すわけです。私もまだ若かったから、そういう女性と一緒に遊んでみたかったのですが、あいにく私は不調でしたし、立場上、それはできません。ホテルの部屋で、事故がなければいいが、飲みすぎなければいいが、と案じているのが常でした。 

 でも、このカメラマンが立派だったのは、朝の集合時間には絶対に遅れることがなかったことです。どんなに遅く帰ってきても、翌朝はきっちり時間通りに集合し、もちろん仕事もきちんこなしていました。 ラジオ時代にも、こんな経験がありました。夜12時頃、テープの編集をやっていると、同僚であり親友であった男から電話があり、「新橋のガード下にいるけど、お金がないのでタクシーに乗れない、迎えにきてくれ」と言うのです。仕方がないのでタクシーで迎えに行くと、新橋の駅前で両に濡れながら彼が立っていました。どうしたのか聞くと、「オレは寂しい、まだ飲み足りない」と言う。これも仕方がないので、次の飲み屋まで送っていって、お金を渡し、私は再び編集に戻りました。翌日、彼はどうしたのかと心配していると、その男はすっきりした顔で出勤して、いつものように仕事をこなしていました。 禅語に「本来面目」という言葉があります。わかりやすくいえば、どんなにお酒を飲もうが、それに流されない本来の自分をしっかり持っていることが大事であるという意味です。

 仏門ではお酒もタバコも飲みたい人は飲み、吸いたい人は吸います。修行中はともかく、修行が終われば禁止されることはありません。だからお酒のことを「般若湯」とも「薬水」ともいいます。本来の自分をしっかり持っていれば、お酒もときには「般若」(仏様の声)となり、「薬」ともなるのです。

 

本来面目(本来の面旦)『六祖壇経』

  五祖弘忍禅師は教育も何もない米つき男、慧能に衣鉢を与え、法を継がせ、六祖とします。しかし慧能は、それを不満とする分子に危害を加えられるのを恐れ、南方に逃がれました。不満分子の一人である慧明が慧能に追いつき、衣鉢を奪い取ろうとしましたが、石の上に置かれた衣鉢は微動だにしませんでした。衣鉢は禅法の継承を象徴したもので、単なるモノではありません。腕力や知性で自分の身につくものではないことを表わしています。 

 追っ手の慧明はこれをみて驚き、自分の過ちに気がつき、慧能に詫びるとともに教えを乞います。そのときの想能の問い、「あなたの本来の面目はいかなるものか」に、慧明は開悟することになります。

「面目」とは人間が本来持っている真実の姿、純粋な人間性をいいます。人は妄想や分別心があるために本来の自己が見えないのです。その曇りを払い除ければ本来の面目は見えてくるのです。「古松般若を談じ 幽鳥真如を弄す」(『人天眼目』四)という言葉がありますが、松風の音は般若(仏様の声)であり、鳥の声などは宇宙の実体(法性)のなせるわざであるのです。

 この実相こそが真実の姿というべきもので、この純粋で清らかな人間性を本来の面目というのです。慧能禅師がこれを理解されていたので、弘忍禅師の法を継がれたわけです。   

『雨の日は仕事を休みなさい』実業之日本社


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0