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生と死に向きあって№1 [アーカイブ]

死と向き合い「生きる」を知る     

            ジャーナリスト・清泉女子大学講師 錦織 文良

 少年時代、死は常に身近にあった。8割方が家で息を引き取り、赤ちゃんは9割が産婆さんの手で産声を上げた。   

 もっとも厳粛で心にしみる死に立ち会ったのは、高校3年の夏、昭和32716日の祖父・野川隆登(76歳)の場面である。母は何日も最寄りの実家に詰めきりだったが、その朝、「だめだった」と悄然として帰ってきた。すぐ枕頭に駆けつけた。別れを惜しむのももどかしく、お棺に収容しやすいよう、膝をさすりながら懸命に立て膝姿勢に整えた。 

 鳥取県の片田舎の町長を務めた祖父は、厳格な明治人だったが、社会でも家庭でも信望の厚い人だった。狭い4畳半で寝たきりだったが、ひたすら本や新聞を読んで思索を深めていた。そのうえに早稲田の講義録まで取り寄せていたのには感心した。8人きょうだいの中子で、とかく疎まれがちだった母は、祖父にだけは可愛がられ、病床の世話を任された。だから私も、ごく自然に祖父を敬愛するようになった。学校から帰るとまず見舞う。祖父は話し相手を待ちかねていた。そのテーマは半端じゃない。当時の社会問題だった勤務評定闘争について「高知県方式をどう思うか」など、硬派物ばかりだった。歯ごたえのある訪問者がいなくて、高校生の私をましな話し相手と見立てたのであろうか。

 当時は親戚と地域が協力して墓地まで送り、埋葬するのが慣わしだった。後年、墓所の整理をした際、祖父の遺骨と対面し、母と洗って納め直し供養した。 

 青年期には、しばしば死の恐怖に苛まれた。夜半に突然、目覚めて考え込んだこともあった。でもそのつど先送りしてクールダウンした。死はこのように、いつも傍らにあるものだった。死を忌み嫌う風潮は今以上に強かったが、大多数の人々はそれから逃れられずに、生々しい現実と付き合ってきたのである。

 現在はどうか。いま、私の周囲にモニターしても、死の恐怖に悩む若い人、年長になってもその呪縛から解放されない人はかなり多い。肝心の、死と表裏一体である「生き方」を考えないから、心構えが定まらない。死のありさまを目の当たりにする機会が市井になくなって、ますます死をタブー視し、やり過ごすことになる。60年前、生死の場所は大半が自宅だった。それが大逆転し、いまや85%が病院で息を引き取る。出産は99%に達した。    

 この世の最大の常識は、生きて死ぬことである。全員の平等機会なのに、それがストンと胸に落ちない。目覚しい医療技術の進歩で、日本は世界一の長寿国になった。平均で男性79歳、女性86歳である。死に直面することを徐々に先延ばしにはできたが、真の生き方についても考えなかったから、あれこれ思い悩んで人生を生きるという、苦しくて非生産的なことを続けることにもなった。    

 1980年代から、死を見つめ語る動きがあたかもブームのように沸き起こった。いまさら気づいたかのように「子供のころから死の準備教育をすべきなのだ」「善い死を迎えるということは善い精神性を持って生きることだ」などという問題提起が盛んになった。アメリカやドイツでは、宗教の時間に死の準備教育を多角的に展開し、人生最大の試練に対する心の準備を促し、末期患者には心構えを薦める。無宗教のせいか、日本では教育機会そのものが抜け落ちている。    

 エリザベス・キュープラー・ロスの「死ぬ瞬間」は、200人の末期患者から聴き取った恐怖の心理告白から、死に直面した心境を①否認②怒り③取引④抑うつ⑤受容、の5段階に分類した。医学生なら誰でも手にする貴重なリポートだが、日本ではまだ人口に膾炙し、活用されているとは言えない本だ。

 ドイツの宗教哲学者アルフォンス・デーケン上智大学教授は、30年以上も日本に住んでその文化を知悉しているから、キュープラ∸・ロスの5段階にさらに⑥期待と希望を付け加え、死後の世界があることもにじませながら、非常に分かりやすく解説する。教授の講演やシンポジウムには、中高年の女性を中心に“追っかけ”が群がるほどだ。   

 再び、そもそも論である。死を考えることは、実は相当に強靭な思考力と体力を必要とする。だから、子供のころからできるだけ接触面を広げてやるのがいい。子供は感受性が鋭いから直感で乗り越えることができる。老年になり、病を得て弱ってからでは、とかく諦観につながりがちで、遅いのである。

 私はこの三年半に三度の大病を経験した。幸いというべきか、楽観主義に徹して何とかクリアしてきたが、死のザラッとした感触には初めて触れた思いがした。徒然草で吉田兼好は「死期は序を待たず。死は前よりしも来たらず、かねて後に迫れり」と含蓄のある言葉を残した。死は時を選ばずだ、普段からよく考えておけよ、という示唆である。    

 私たちは自分の死に方を選べると思いがちだが、そうはいかない。選べるのは生き方である。そこをよく考えたい。「その時」には必ず周囲の手を煩わすことになるが、家で往生するという理想が実現するしないにかかわらず、自分の考えは周囲に伝えておきたい。つまり、自分の生きてきた道を無言の語りで示し伝えられたら、と思う。それが家族や社会への大切なメッセージ義務ではないか。        
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