SSブログ

わが生涯の音楽ノート№1 [アーカイブ]

オラトリオ「森の歌」の歌詞                                                                               音楽会プロデューサー  阿久澤實  

   50年代初めの頃、流行っていた音楽喫茶店で、リクエストの多かった曲に、ショスタコービッチのオラトリオ「森の歌」があった。この曲は、混声合唱を主体に、独唱、管弦楽、それに児童合唱も加わる規模の大きな作品で、親しみやすい旋律と迫力に満ちた管弦楽曲で、初めての聴衆も魅了された。日本では関西の楽団で初演され、その後N響で公演されたが、1955年の秋、東京は労音の主催により、一万人を収容する両国の国際スタジアム(旧国技館)で、4回もの公演が行われた。それは千人の混成合唱団(百人の児童合唱を含む)に大編成の東京交響楽団と、2名のソリスト、そして指揮は当時、新進気鋭の芥川也寸志の出演といった大規模な内容で注目を集め、公演後は、新聞、週刊誌などで広く話題を集めた。特に千人もの合唱団が出演したこと、しかもその合唱団はプロではなく、アマチュアの勤労者だったこと。 

    ところで、この大合唱曲オラトリオ「森の歌」は、1949年、ソ連の著名な作曲家ショスタコービッチの作品で、当時のソ連の大規模な自然改造計画を賛美したドルマトウスキー(ソ連の著名な詩人)の詞文をもとに作曲されたものである。 

 1948年、ショスタコービッチはソ連当局から作品に対する2度目の批判を受け、要職を辞していたが、49年、批判の克服の意を込めて、この「森の歌」を作曲したのである。

   この「森の歌」の詞文は、戦後の荒廃した国土を緑化する大規模な自然改造計画を賛美したものだが、具体的には、「その大規模な自然改造を計画し、指導したのはスターリンであり、聡明なスターリンに栄光あれ。」といった、まさにスターリン賛歌となっている。それでは、この詞文を原文のまま、つまり、日本語に忠実に訳して歌うわけにはいかない、ことは当然であった。

 そこで、歌詞の翻訳をされた演奏家の井上頼豊氏と桜井武雄氏がうんちくを傾け、苦労を重ねて、現在の意訳文となったのである。訳文の趣旨は“大戦後の荒廃した祖国を緑化し、住みよい環境を作り出す市民のたくましい姿”となって歌われた。

   ともあれ、この音楽会を成功に導いたのは、なによりも、半年に及ぶ練習に参加し、無報酬で舞台に立った、千人の合唱団だと思う。初めて合唱に参加した人々から、“大戦後の祖国再建に立ち上がる労働大衆を歌い上げた内容に感銘を覚え、練習に意欲を沸かせた”といった声が多く聞かれた。   なお、作曲家のショスタコービッチ本人から公演の数日前にメッセージが届けられた。また、「森の歌」の歌詞(原文)は、スターリンの死後、改定されたことを付記しておく.
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0