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郷愁の詩人与謝蕪村 №26 [ことだま五七五]

秋の部 3

           詩人  萩原朔太郎

秋風や干魚(ひうお)かけたる浜庇(はまびさし)

 海岸の貧しい漁村。家々の軒には干魚がかけて乾(ほ)してあり、薄ら日和(びより)の日を、秋風が寂しく吹いているのである。

秋風や酒肆(しゅし)に詩(し)うたふ漁者(ぎょしゃ)樵者(しょうしゃ)

  街道筋(かいどうすじ)の居酒屋などに見る、場末風景の侘(わび)しげな秋思である。これらの句で、蕪村は特に「酒肆」とか「詩」とかの言葉を用い、漢詩風に意匠することを好んでいる。しかしその意図は、支那の風物をイメージさせるためではなくして、或る気品の高い純粋詩感を、意識的に力強く出すためである。例えばこの句の場合で、「酒屋」とか「謡(うた)」とかいう言葉を使えば、句の情趣が現実的の写生になって、句のモチーヴである秋風(しゅうふう)落寞(らくばく)の強い詩的感銘が弱って来る。この句は「酒肆に詩うたふ」によって、如何いかにも秋風に長嘯ちょうしょうするような感じをあたえ、詩としての純粋感銘をもち得るのである。子規しき一派の俳人が解した如く、蕪村は決して写生主義者ではないのである。

月つき天心(てんしん)貧しき町を通りけり

 月が天心にかかっているのは、夜が既に遅く更ふけたのである。人気(ひとけ)のない深夜の町を、ひとり足音高く通って行く。町の両側には、家並(やなみ)の低い貧しい家が、暗く戸を閉とざして眠っている。空には中秋(ちゅうしゅう)の月が冴さえて、氷のような月光が独り地上を照らしている。ここに考えることは人生への或る涙ぐましい思慕の情と、或るやるせない寂寥(せきりょう)とである。月光の下もと、ひとり深夜の裏町を通る人は、だれしも皆こうした詩情に浸るであろう。しかも人々はいまだかつてこの情景を捉(とら)え表現し得なかった。蕪村の俳句は、最も短かい詩形において、よくこの深遠な詩情を捉え、簡単にして複雑に成功している。実に名句と言うべきである。

『郷愁の詩人与謝蕪村』 青空文庫


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