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雑記帳2024-4-1 [代表・玲子の雑記帳]

2024-4-1
◆この春、高校を卒業した従妹の孫娘がたずねてきました。

「おばちゃん、こんにちわ」
「大学の試験はどうだったの」
「合格です。経済学部で決めました」
「よかったわね。おめどとう。そこで何するの。キンケイ?マルケイ?どっち?」
「はっ、それって何ですか」
私は驚く。経済学部ならそのどちらかに決まってるではないか。
「キンケイは近代経済学、マルケイはマルクス経済学よ」
「うちの経済学部の科目一覧には、キンケイもマルケイもないです」
私は慌てる。
えっ、そうなの。私が古いのかも知れない。いくつか、大学の経済学部の科目を見てみるわね」
ネットを開く。東京大学を手はじめに一橋大学、慶應義塾、早稲田大学、上智大学、国際基督教大学……      マルクス経済学の科目は見当たらない。
もしかしたらソ連の崩壊と関係があるかかもしれない。世界初の社会主義国としてマルクス経済を実施してきた(?)のはソ連なのだから。
「あらほんとにキンケイもマルケイもないわ。私の不勉強だわ」
「おばさん、マルケイって何ですか」
「あなた世界史はやったわね。マルクスを聞いたことあるでしょ」
「その名前は世界史じゃなくて、倫理、コウリンで聞いたことがあります」
「どんなことを憶えてるの」
「産業革命により、資本家が労働者を雇って生産する資本主義が発展しました。自由にモノをつくり、自由にモノを買う市場経済です。そして貧富の差がひろがりました。マルクスはそれを改善するために、資本家がもっている工場や土地を、労働者のものにして、何が必要なモノかを計画してつくる計画経済を行う。労働者が主人公となる社会をつくる共産主義を主張したのです」
「あなた、よく憶えているのね。私も大学の一般教養科目で勉強しただけだけど、思いだしてきたわ。マルクスの思想により,レーニンは共産党は1917年にロシアで革命をおこし、ソビエト連邦を創ったの。世界最初の社会主義国として注目されたのよね」
「でもソ連は1991年に崩壊しているじゃないですか」
「そうなのよ.ソ連共産党は一党独裁だった。ソ連は5ヶ年計画で工業化をすすめ、一定の効果を挙げたといわれている。だけど国全体でモノを造るのに,何がどれだけ必要で、どれが不必要かを決めるのは,需要と供給の関係を正確につかまなくてはならない。そんなことは不可能でしょ。計画経済は破綻します」
「学校でも、現在、社会主義国というのは、中華人民共和国、北朝鮮 、べベトナム、ラオス 、キューバ の5か国だけと聞きました」
「社会主義国は大なり小なりに市場経済を採用しているわ。それはマルクスの思想とはまるで違うことよね。中国などは,共産党独裁の資本主義を実行しているわよね」
「だから日本の大学の経済学部からマルクス経済学の講座が消えたんですね」
「まあ、こうやって話してみるとマルクス経済学が消えたのも無理ないことね。」
「私、先輩から聞いたんですけど、経済学部の講座は,よく数字を使うということです。私は数学が嫌いじゃありませんから、むしろ楽しみにしています」

大河ドラマ「光る君へ」の影響か、源氏物語が人気です。旅行や美術館で紫式部や源氏物語に関する企画が目白押し。3月には八王子の富士美術館で「源氏物語」展が開かれていました。

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パンフレットの表紙から

開館40周年の記念事業とあって、絵巻や画帖、屏風絵にとどまらす、工芸や現代アートまで、源氏文化の拡がりを一望できる大掛かりな企画展でした。

紫式部が「源氏物語」を執筆したのは今から1000年前、最初の絵巻はそれから100年後に生まれました。物語の場面を絵画化した「源氏絵」はその後、流派や時代を越えて数多く描かれました。描かれた源氏物語は、当時の平和貴族の文化や生活を知る貴重な資料にもなっています。

「源氏物語とその時代」と称する第一部では、色紙や詞書とともに、筝を始めとした楽器や文房具が展示されていました。物語の中で主人公や姫君が手にしたこれらの文物をとおして、私たちは王朝文化の一端にふれることができるのでした。

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紫式部(尾形光琳)

第二部はあらすじで辿る源氏物語の絵画です。

源氏物語は絵巻を初め、冊子、扇、色紙などの小画面のものから、屏風や襖のような大画面のものまで、多種多様な携帯で描かれています。中世末期の12世紀に生まれた源氏絵は、近世、室町時代から桃山・江戸時代前期にかけて様々な流派の絵師が制作しました。中でも土佐派の大和絵を代表するような華麗な色彩には目を奪われました。いっぽうで、もう少し軽い、瀟洒な住吉派の絵も展示されています。

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桐壺(土佐光吉)
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若紫(土佐光吉)
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帚木(安田靫彦)

江戸時代には源氏は錦絵にも登場します。大和絵とは異なる画風の、明快な色使いや簡潔な線で軽妙さを打ち出した浮世絵師たちの仕事は、従来の源氏絵とは異なる源氏物語の世界を生み出しました。印刷の技術革新もあって、江戸時代は源氏の人気は庶民の間に高まった時代でもあったのです。
菱川師宣が源氏に由来した美人画を描いたのはもちろん、浮世絵の元祖と呼ばれた岩佐又兵衛も源氏物語の場面を沢山残しています。

浮世絵に対抗して大和絵を継承していたのは狩野派です。第三部の源氏物語の名品のコーナーには狩野養信の大作「源氏物語屏風」には、新春の六条院、源氏40歳の賀の席で玉鬘が若菜を信条する場面、二条院での宴に柏木と夕霧が舞う場面が描かれて、目をひきました。

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狩野養信の源氏屏風絵
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養信の屏風絵の一部

蒔絵で有名な尾形光琳は絵ものこしていました。
ここでは、江戸時代に制作された、印籠や蒔絵硯箱、彩色貝桶や蒔絵引き出し箱等の優れた工芸品が展示されていました。中には源氏香の図や香箱もありました。香道は室町におこったことを学びましたね。

近世に比べると、近代は源氏絵の制作は減少しますが、それでも、源氏物語と紫式部は画家たちの創作意欲をかき立てる対象であり続けました。
大和絵の作風を継承した作品もあれば、美人画で有名な上村松園はかわいい紫式部を描いています。中で目を引いたのは上村松園の「焔」下絵でした。

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眉をひそめ髪の毛を食いしばる姿は異様で、妖気すら感じさせます。
源氏との関係に思い悩んだ六条御息所は生霊となって葵上に取りつき、遂には死にいあたらせる、自身の情念に翻弄される御息所の苦悩も描かれているようでした。あとで知ったところによると、この絵を制作した荘園も又、この時期スランプに苦しんでいたということです。

この時代、源氏物語は与謝野晶子や谷崎純一郎による新訳がでています。その表紙や挿絵もまた源氏絵に連なるものとして残されています。

さて、現代、1000年を越えて読み継がれて来た源氏物語は、映画や漫画は言うに及ばず、染色、ガラス、写真など、新たな表現の世界をひらいています。
平安の女性が身に着けた十二単は今でも女性の憧れの的です。
会場入口には御簾に隠れた女性の内掛けが展示されていました。色の複雑な組み合わせに当時の人々の繊細な美意識を覚え、再現しようとする染色家は多い。

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御簾ごしに見る再現された装束
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女三宮の袿

更に、多くの作家のイマジネーションを刺激した現代の新訳は、国内にとどまらず、世界にもひろがっているようです。時代、時代に解釈されて来た源氏物語が内に人間の永遠の課題をはらんでいるからでしょう。今ならさしずめ、ジェンダーでしょうか。


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