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雑記帳2024-3-15 [代表・玲子の雑記帳]

2024-3-15

◆3月に入ると株価は上昇し4日には史上初めて4万円台を記録しました。その後いくらか値下がりがありますが、日本経済 が確かな業績をあげていることを反映しているといわれます。

生活者にとって春最大の話題は春闘による賃上げです。
日本最大の労働団体・連合(日本労働組合総連合会・組合員約699万1千人)は、1月24日、月額平均1万4000円の賃上げ要求を打ち出すと共に3月13日を集中回答日としました。
今年の春闘は労使共々に賃上げの必要性を認めています。そこで大手企業では集中回答日をまたずに「満額回答」が相次いでいます。  

集中回答日を含めてこれまでに判明している大手企業の一部の状況は次の通りです。

トヨタ自動車年間一時金7.6月、日産自動車月額18000円年間一時金5.8月,
ホンダ13500円、年間一時金7.1月、マツダ16000円、年間一時金5.6月、
三菱自動車17500円年間一時金6.0月、日立製作所13000円年間一時金6.17月、
パナソニック13000円年間一時金・業績連動、東芝13000円年間一時金・業績連動、
三菱電機13000円年間一時金5.8月,日本製鉄35000円年間一時金・業績連動、
FEスチール30000円年間一時金業績連動,JAL15000円年間一時金・業績連動、
ANA11000円年間一時金・業績連動 (以下省略)

中小企業や非正規雇用で働く人たちにも賃上げの勢いを行き渡らせ、持続的な賃上げを実現できるかどうかが問題です。
そのためには原材料費や人件費などの上昇分を元請けの大企業に対して価格転嫁しやすい環境を整えることが重要です。
賃上げで個人消費が活発になり、経済の好循環が実現することがなによりも望まれます。

年金生活者の私には、賃上げ効果の波及はありません。.目に余る物価高に生活費の切り詰めを迫られる毎日ではありますが……

◆斉藤陽一さんの『京都ルネサンス』の第一部、伊東若冲の講座が終了しました。西洋美術研究家の視点からの解説が面白く、月に一度、会場の三光院に通うのが楽しみでした。印象に残ったいくつかをご紹介しましょう。

30枚の『動植綵絵』の中でも最もよくしられるているのは「群鶏図」です。

13羽の鶏がそれぞれ、向きを変えて描かれ、見る者は鶏たちの赤いトサカを彷徨って視点が定まりません。心理学者の北岡明佳氏によると、赤い色は火などを連想させ、人間は本能的に赤に集中するのだそうです。

比較されるのがダヴィンチの「モナリザ」です。モナリザを見る人は誰もが彼女の口、一点に集中するのです。

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遠近感のない画面に望遠レンズをとおして迫ってくるような距離感、不思議なシュールな絵画の世界は現代アートに通じる、斬新なデザインです。これは西洋が20世紀になって獲得したものでした。

「薔薇小禽」は紅白の薔薇が目の醒める華やかさでえがかれ、乱れ咲く花々の中に一羽の小鳥がとまっています。

なだれ落ちる、跳ね返る、乱舞するのは、溢れるような薔薇の生命力です。一つとして同じ表情の花はありません。そして、小鳥が眺めている先には若冲画! 若冲のあそび心が見えます。

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「池辺群虫図」は画面に70種の虫が描かれた楽しい絵です。
食べる側と食べられる側、反復して描かれた蛙のなかに一匹だけ異なる蛙がいる、生まれたばかりの命を表すオタマジャクシたち、草木国土悉皆成仏の仏国土を表した曼荼羅虫図です。

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とがった貝、大きく口を明けた会、渦巻貝など、眺めるたびに発見のある「貝甲図」もまた貝曼荼羅です。描かれた140種の貝の中には当時の日本人にはなじみのない南洋産の貝もあります。これは若冲と交流のあった、大阪の教養人、木村蒹葭堂の影響かと見られています。彼は酒造家であり、生物悪者でもありました。若冲や若冲と交流のあった相国寺の大典和尚が、当時の関西の知識人のネットワークに組みこまれていたことは、講座のはじめに学んだことでした。

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「老松白鳳図」は太陽に向かって鳴き声をあげる純白の鳳凰が描かれています。 

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金色に輝いて見える鳳凰の羽根は実は金色をつかっていません。    
黄土と呼ばれる黄色の顔料を裏にぬり、その上に黒をおいて、表の白と、黄色と、隙間から見える黒の絶妙なバランスによって黄金色をだしているのです。金を使わずに金色の効果を追求した若冲マジックとも呼ばれるものです。
雄の鳳凰の表情はなぜかなまめかしく、写実を旨とする若冲の作品の中では得意な絵だといわれています。

虫や貝ばかりでなく若冲は魚も描いています。  
住まいのあった錦市場の魚を子細に観察して描いたと思われるこの絵にはプルシャンブルーがつかわれています。プルシャンがプロシャをさすことからベルリン藍と呼ばれました。北斎が富嶽36景に用い、のちに広重ブルーと呼ばれるようになった「ベロ藍」は、実は日本では若冲が最初につかったのでした。

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「動植綵絵」最後の一幅は「紅葉小禽図」。570枚のモミジが描かれています。
赤くなる前のミミジ、今が盛りの真っ赤なミミジ、盛りが過ぎて黒ずんできたモミジ。
モミジは一つずつ異なる色彩で描かれ、よく見ると、紅葉した葉は後ろから光を浴びて、明るい絵がうまれました。
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混ぜれば混ぜるほど黒に近づく絵の具に対し、光は混ぜれば混ぜるほど白に近くなります。西洋の印象派の画家たちよりも半世紀も前に若冲は絵の具の宿命に気づいていたのでした。

なぜ光にこだわったのか。人の目には見えなくても仏には見えると言い、動植綵絵すべてを釈迦三尊像とともに寺に寄贈した若冲は、あらゆるものに光がいきわたる世界を仏に見せたいと思ったのではないでしょうか。

鮮やかな色彩が印象深い若冲は実は水墨場の分野でも傑出した描写力を発揮しています。そのほか、枡目画き(モザイク画)、拓本画など、さまざまなジャンルに飽くなき挑戦をつづけました。晩年は明暦の大火で住居を失い、深草の黄檗宗の石峯寺の門前で暮らし、寛政12年(1800)、85歳で生涯を閉じました。当時としては相当の長命でした。寺には若冲の彫った五百羅漢が残されています。


◆三光院の弥生のお膳は菜の花のおすもじでした。

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ごま豆腐のくずとじ  
まだまだ寒いこの季節に体を温めて
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菜の花のおすもじ とあられのお吸い物     
菜の花漬けを中に入れた海苔巻き おすもじは御所言葉でおすしのこと


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