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海の見る夢 №70 [雑木林の四季]

     海の見る夢
         ―愛の夢ー
               澁澤京子

国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)へ、資金援助停止を決定した国々。米国、イギリス、カナダ、オーストラリア、ドイツ、イタリア、スイス、フィンランド、日本・・(1月30日現在)今回のパレスチナ人虐殺で明らかになったのは、欧米の「人権」にはダブルスタンダードがあること。本来はイスラエルが保護すべき占領地パレスチナを、UNRWAが肩代わりに支援してきたことを考えると、今回の資金援助の停止はダブルスタンダードというよりは、狂気の沙汰としか思えない。「日本は欧米に追随していればいい」という姿勢をいい加減、改めることはできないのだろうか?

今、パレスチナ問題に関心を持つ女性は、私の周囲ではシスターたち、それから難民問題に取り組んでいる女性、市民運動されている女性などごく少数の人々。昔、集団的自衛権のデモに参加した時も、高齢の日本人シスターのグループが静かにデモに参加されていた。一見、浮世離れしているように見えるシスターたちだが、いろんな国に派遣されて、ホームレスや難民のお世話をするせいか、政治、社会、歴史などに詳しいし、とてもよく勉強されている。経済格差や気候変動、これから増えるであろう難民などの問題が山積みの今、子供の将来を考えれば、今はむしろ女にとって切実な時代ではないだろうか。(特に気候変動はかなり深刻なところまで来ていて、国連の報告では、今年の2024年は2023年をさらに上回る異常気象が予測されている)

私が若い時から、年取ることに抵抗がなかったのも、政治に興味を持つようになったのも、フラメンコのK先生の影響がとても大きい。「女でも、社会や政治に興味持たないとだめだ。」当時80歳を超えていた先生は毎朝、朝刊を隅から隅まで読み、疑問に思ったところには必ず赤ペンで線を引く。先生の新聞はいつも赤ペンの線と書き込みだらけで、さらに政治に対して「おかしい」と感じた時は、すぐに赤いスポーツカーを飛ばして国会まで文句を言いに行く。「また、あのお婆さんが来たって思うんだろうね。行くとたいてい、議員会館でお昼をごちそうされてさ、追い返されるんだよ。」先生にとって、昭和の大恐慌はまるで昨日のような出来事だったので銀行を信用せず、また泥棒に入られたらいけないと一万円札を常に新聞紙の間に挟んでいた。(時々うっかり、お札の挟んである新聞紙の束をゴミと一緒に出していたらしいが)しかし、亡くなった後、彼女の新聞紙貯金は舞踊基金となって立派に活用された。

私は普通の主婦になったが、ある時期、サルトルを日本に紹介した竹内芳郎先生の政治討論塾に通っていたことがある。竹内先生のお弟子さんは大学教授が多く、専業主婦は私一人。そのころ、クリーニング屋にパートで働き始めたばかりで疲れていたのと、毎回、読まなくてはいけない難解な本が多すぎるので途中で断念したが、竹内先生が嫌いな政治家(自民党)の話になると、その悪口がユーモラスで抱腹絶倒だったことを思い出す。竹内先生は、90歳を過ぎても、話題になっている本は翻訳を読む前に必ず英語か仏語の原書を丁寧に読むような、誠実な学究の徒だった。

フラメンコのK先生は1902年上海生まれ。イギリスにバレエ留学、それからアメリカに渡って、ずっと向こうで舞踊の仕事をされていた。ちょうど、イギリス、アメリカで女性参政権運動の最も華やかな時期に、彼女は青春時代を過ごしたのである。K先生の持つスケールの大きさと大胆さ、おおらかで自由な空気は、あの時代特有の雰囲気なのかもしれない。時代というのは空気のようなもので、その時代に生きる人に自然に染みつく。例えば原節子は、やはり大正時代の独特の雰囲気から生まれた女優さんだと思う。それと同様に、道徳も世の中に空気のように自然に存在するものであって、いくら「教育勅語」を復活させても、おそらく戦前の日本のようには決してならず、形だけのものになるのではないかと思う。

日本に女性参政権が公布されたのは敗戦後の1945年、GHQに女性参政権が与えられるより前に日本政府から公布をという市川房枝らの訴えがついに通ったのである、ちなみに国連に緒方貞子を送り出したのも市川房枝で、市川房枝は、K先生より少し上の世代。昔、市川房枝のファンだった三宅一生が、彼女のために服をデザインしたが、一生何かに身を捧げて生きた女性というのは、年取ってから輝くような魅力を放つ人が多い。

もう一人の魅力的に年取った女性は、私の禅の師であるシスター・K。大学の時に日本に来日して以来、79歳の今も日本に滞在。参禅して禅のマスターとなり、禅を指導される傍ら、小児がんの子供のケア、難民のケアと毎日、他人のお世話をするために奔走している。仏教にもキリスト教にも哲学にも造詣が深く、彼女と話しをしていると、深い魂のところで会話しているような気持ちになる。シスター・Kは、東京のミッションスクール(女子校)で英会話の先生をされていた時、「もっと政治や社会に関心を持ちなさい」と女生徒たちを激励したらしいが、日本の女性には比較的、政治や社会問題に関心が薄い人が多いのを心配されたのだろう。しかし、最近デモに行くと、グレタさんやバンクシーの影響なのか、20代くらいの若い女の子が多いのはとても心強い。

「人は年取るほど若くなる」はヘッセの言葉だけど、それはシスター・KとK先生の両方に共通していることで、天衣無縫で、おおらかで自由で、一緒にいるとこちらまで自由な気持ちにさせてくれる。子供っぽい大人は多いが、本当の子供の純心を持った大人は少ない。一緒にいる人をノビノビと自由に開放させてくれるような、そうした資質は、まぎれもなく「善」だと思うが、舞踊も禅も(無心)というものを目指すせいもあるのかもしれない。年寄にありがちな人生訓などは語らず、もちろん愚痴もこぼさず、むしろ年取れば年取るほどわからないことが増えてくるといった感じで、常に他人から自分の知らないことを熱心に学ぼうとする好奇心の強さ、また、安易に人や物事を決めつけたりしないせいか偏見も少なく、要するに、二人とも頭の良い女なのである。勘がよくて、物事の本質をつかむ能力が優れているのも、余計な思い込みや偏見が少ないせいかもしれない。

一人は芸術の女神に、もう一人は神に恋をして一生を捧げられるというのは、よほど激しい情熱がないとできないことだろう。二人とも、並外れたロマンティストなのだ。フラメンコのK先生には彼女が亡くなるまで遠距離恋愛していた恋人が南米にいたらしいが、ああやっぱり、と思うほど彼女は魅力的だった。

同じロマンでも、「美しい日本」を標ぼうする今の保守政治家は、神宮外苑の伐採といい、辺野古の埋め立てを強行するなど、ロマン主義とは正反対の、自然の美に対する鈍感さ。ものの価値基準がお金しかなくなる(これもロマン主義とは正反対)とこうなるのだろうか。自民党刷新でいったい何が変わったのだろうか?かつて小泉進次郎氏のスピーチ「今、このままでは、日本はいけない。だからこそ日本はこのままではいけないのだと思います。」が(中身のない同語反復を指す)小泉構文と言われていたが、今の自民党刷新も小泉構文と同じように、あたかも何か新しいことに取り組んでいるようなポーズを見せるだけで、その実、たいしたことは何もしない、ただの見せかけなのだろう。

人も組織も見せかけだけにこだわっていれば、内部から腐敗してゆくだけなのである。

男であるとか女であるとか、また年齢とかも一切関係なく、立ち止まることなくずっと走り続けられる人は美しい。そして、その原動力は、対象は何であれ、やはり「恋」なのだと思う。


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