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夕焼け小焼け №29 [ふるさと立川・多摩・武蔵]

カワウソ先生・坂本先生

         鈴木茂夫

 佐藤先生は漢文の担当だ。頭には白髪が目立つ。歯が出張っているところからか、カワウソと呼ばれる。真面目に情熱をこめて話す。話が弾んで予定された教科通りには進まないことが多い。つまり脱線するのだ。そのせいか生徒には人気がある。
 「きょうは孟子からはじめよう」
 先生は黒板に書き出した白文を読み上げる。
 「これは孟子の教えの根本だ。人の性は生まれながらに善とする性善説だ。人の心には『四端』がある。仁・義・礼・智のことで、「仁」は人を憐れむ心、「義」は自分の不正を恥じる心、「礼」は人に譲る心、「智」は是非の心をさしている。自分の不善を恥じ、他人の不善を憎む心のないものは人ではない。譲り合う心のないものは、人ではない。善し悪しを見分ける心がないものは、人ではない。人の不幸を見過ごせない心は、仁の芽生えである。自分の不善を恥じ、他人の不善を憎む心は、義の芽生えである。譲り合う心は、礼の芽生えである。善し悪しを見分ける心は、智の芽生えである。人がこの四つの芽生えを持つことは、ちょうど両手両足があるのと同じなのだ。生まれたままの状態の「四端」は小さいが、学問をし修養を積めば「四端」の徳を自分のものにできるのだ」
 先生は一息入れて続けた。
 「人は存在する。存在とはザインだ。人にはかくあるべきものがある。英語で言えば、should又はoughtだろうか。それはゾルレン、つまり当為だ。われわれは漢文をとおして、善悪の当為を学ぶんだ。漢文とはそういう学問、つまりヴィッセンセンシャフトだ」
 先生は立ち上がった。
 「われわれは一人で存在するのではない。社会に生きている。そこで出来上がるのがゲマインシャフトだ。それは血縁組織であったり、教会組織、自治組織であったりする。もう一つの組織にゲゼルシャフトがある。これは組織自体に目的がある。通常の企業だな」
 カワウソ先生は、黒板に書いたり、自分のノート見たりして話し終えた。どうも、ザインだのゾルレンとは、ドイツの哲学の用語だ。現実と理想の関係を考えるのだという。
 生徒は聞きなれているようだ。ゾルレンが出てくると話は終わると教えてくれた。   

 坂本右先生も国語の担当だ。東京の出身で東京文理科大学の卒業だという。戦前最高の教育機関だ。
 戦時中は、在学中に将校を育成する特別甲種幹部候補生として教育を受け少尉だった。
 戦後は復員して、大学に戻り卒業したとのこと。
 中肉中背で肩幅が広い。太めの眼鏡枠の奥に、落ちついた瞳が光っていた。いつも旧軍の軍服を着ている。
 名古屋弁ではない。生粋の東京言葉だ。静かな語り口で生徒には人気がある。
 ある日、先生は教室に入ってくると、一人でうなずき、黒板に書き出した。

     垂乳根乃 母之手放 如是許 無為便事者 未為國

 「君たちは、この万葉仮名が読めるかな」
 誰も返事する者はいなかった。
 「それでは読めるように書こう」
 
    たらちねの母が手離れかくばかりすべなきことはいまだせなくに

 「これは万葉集の中でも有名な歌だ。作者は分からない。どういう意味か、分かるかな」
 戸田が手を挙げて席から立った。
 「母親の手元からはなれ、こんな辛い思いをしたことがないです」
    私もそのように理解したのだが。
 「そのまま読めば、そうも理解できるがそうではない。ほかに意見はないか」
 答弁は出てこない。
 「この歌は少女の歌なんだ。作者の人麻呂は、少女の初恋を歌っているんだよ。母の手から離れ、成人して以降、こんなに切なくやるせない、思いにとらわれたことは、いまだかってありません。歌の中の、すべなきことは、どうしていいか分からないだ。はじめて感じること、つまり愛することだよ」
 先生の解説に、みんな腑に落ちたという思いだった。
 また違った歌を先生は書き出した。

    五月待つ花橘の香をかけば昔の人の袖の香ぞする(よみ人知らず)

 「これは古今和歌集にあります」
 私は書かれてあるとおりで、特に難しいことはないのにと思った。
 「ここにある昔の人とはなんだろう。袖にたきこめた香りを作者は忘れてはいない。つまり昔の人とは、昔の恋人のことだね。そうだとすると、花橘とはむかしの恋人の面影なのだということが浮かんでくる。今は昔となった恋人を偲んで切ない。男の心情だね」
 「先生、ボクは今の人もおらんのに、昔の人がいるわけがないですよ」
 増井君が抗議するかのように発言した。先生は微笑した。
 「君の発言はもっともだ。でもね、文学の世界では現実にはそうでなくても、想像するということはできるんじゃないかな」
 「先生、この歌は想像で歌っているのではなく、作者の体験を歌っているのと違いませんか」
 増井君の頬は紅潮していた。
 「君の言うとおりだね。ところで関係ないけど、君には今の人がいるのかな」
 増井君はうつむいた。私はどんな答えが出てくるのかと期待した。
 「それはボクひとりが、今の人と思ってるだけですけど」
  ほうという賛嘆の声が漏れた。私には今の人はいない。うらやましかった。
 「きょうは教科書から脱線してしまったが、たまにはこんな話もいいだろう」
 先生は一人語りをするようにつぶやいて教室を後にした。恋の話は悪くない。
 先生には、今の人がいる。そして忘れられない昔の人もいるんだと思った。


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