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郷愁の詩人与謝蕪村 №21 [ことだま五七五]

の部 6

        詩人  萩原朔太郎

更衣(ころもがえ)野路(のじ)の人はつかに白し

 春着を脱いで夏の薄物にかえる更衣(ころもがえ)の頃(ころ)は、新緑初夏の候であって、ロマンチックな旅情をそそる季節である。そうした初夏の野道に、遠く点々とした行路の人の姿を見るのは、とりわけ心の旅愁を呼びおこして、何かの縹渺(ひょうびょう)たるあこがれを感じさせる。「眺望」というこの句の題が、またよくそうした情愁を表象しており、如何(いか)にも詩情に富んだ俳句である。こうした詩境は、西洋の詩や近代の詩には普通であるが、昔の日本の詩歌には珍しく、特に江戸時代の文学には全くなかったところである。前出の「愁ひつつ丘に登れば花茨いばら」や、春の句の「陽炎(かげろう)や名も知らぬ虫の白き飛ぶ」などと共に、西欧詩の香気を強く持った蕪村独特の句の一つである。
  因(ちな)みに、蕪村は「白」という色に特殊な表象感覚を有していて、彼の多くの句に含蓄深く使用している。例えば前に評釈した句、

白梅(しらうめ)や誰(た)が昔より垣の外(そと)
白梅(しらうめ)に明(あ)ける夜ばかりとなりにけり

 などの句も、白という色の特殊なイメージが主題になって、これが梅の花に聯結(れんけつ)されているのである。これらの句において、蕪村は或る心象的なアトモスフィアと、或る縹渺とした主観の情愁とを、白という言葉においてイメージさせている。

更衣(ころもがえ)母なん藤原氏(ふじわらうじ)なんめり

 平安朝の文化に対して、蕪村は特殊の懐古的憧憬(しょうけい)と郷愁とを持っていた。それは彼の単なる詩人的エキゾチシズムと見るよりは、彼の生活していた江戸時代の文化情操が、町人的卑俗主義に堕していたことで、蕪村の貴族主義と容(い)れなかった上に、彼自身が京都に住んでいたためと思われる。この句もやはり、そうした主観的郷愁の一咏嘆(いちえいたん)であるが、特に心の詩情を動かしやすく、ロマンチックで夢見がちな初夏の季節を、更衣(ころもがえ)の季題で捉とらえたところに、句の表現的意義が存するのである。こうした平安朝懐古の句は、他にも沢山作っているので、参考のため、次に数句を提出しよう。

折釘(おれくぎ)に烏帽子(えぼし)かけたり宵の春
春の夜に尊き御所(ごしょ)を守もる身かな
春雨や同車の君がさざめ言(ごと)
ほととぎす平安朝を筋(すじか)ひに
さしぬきを足で脱ぬぐ夜や朧月おぼろづき

 引例を見ても解るように、特に春の句においてそれが多いのは、平安朝の優美でエロチックな文化や風俗やが、春宵の悩ましい主観において、特にイメージを強く与えるためなのだろう。芭蕉における木曾義仲(きそよしなか)の崇拝や、戦国時代への特殊な歴史的懐古趣味を、一方蕪村の平安朝懐古趣味と比較する時、両者の異なる詩人的気質が、おのずから分明して来るであろう。
(備考。この句の第三句は、多くの句集に「なりけり」となってるが、平安朝の言葉をもじった「なんめり」の方が、この場合ユーモラスで面白い。)

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