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海の見る夢 №65 [雑木林の四季]

     海の見る夢
        -アルビノーニのアダージョ~Dマイナー~                       
                  澁澤京子

だいぶ前に、イスラエルの女性兵士がドローンを操作する写真を見て、とても嫌な気分になったことがあった。安全な場所で椅子に座ってボタンを押せば起こる爆撃・・ゲームではなく殺されるのは生身の人間なのである。今、パレスチナで起こっている残虐は、虚構と現実があいまいになった時代の、先進国に生きる私たちの無関心と残虐さの現れでもあるのかもしれない。

今、ツィッターでガザの様子を知ることができるが、凄惨な映像の合間に、瓦礫から救い出された猫の手当てをする医者、空爆で死んだセキセイインコを泣きながら植木鉢に葬る少女、配給されたペットボトルの水を犬に分け与える青年、オカメインコ3羽と亀一匹を連れて爆撃から逃れたおばあさん・・厳しい状況にあるのにもかかわらず動物を大切にして、乏しい食料や水を動物に分け与えるパレスチナの人々の姿を知ることができる。常に死と隣り合わせだからこそ余計に、動物の命を大切にするのかもしれない。どこの国にもある、ほのぼのとした日常を、大切に育てられた子供の命を、一瞬にして破壊されてしまったパレスチナの人々。

 ・・今、影を現しつつあるのは 全世代パレスチナ人の抹消です。そしてもしそれが現実に起きてしまったら、その代価を支払うのは私たち全員なのです。
                       サラ・ロイ 2009年東大講演会

政治経済学者であるサラ・ロイが東大の講演でこのように警鐘を鳴らしたのが2009年。そして2023年の今、まさに私たちの目の前でそれは起こっている。毎日138人の子供たちが殺されながら、こんなにも無力を感じた事はない。イスラエルかハマスかというレベルをはるかに超え、今は、目の前で起きている民族浄化を容認出来るか、出来ないか、といった状況で、私たちの人間性そのものが問われているような気がする。

私はイラク戦争でも、イラクの死傷者数の多さからイラク側を擁護したし、パレスチナ問題でもパレスチナサイドの立場だった。パレスチナ関連の本はずいぶん読んだ、サイードの『パレスチナ』をはじめとして。それでもサラ・ロイの本を読むまでは自分の認識が甘いことに気が付かなかった・・今までお念仏のように冒頭で「ハマスも悪いが・・」といちいち断っていたが、サラ・ロイの本を読んでからはそういう気も起きなくなった・・「天井のない牢獄」どころか、イスラエル兵の気まぐれによって、一日にパレスチナ人が何人か殺されようが、パレスチナの子供が拷問されようが何とも思われないような、まさに強制収容所のような場所だったのである・・

サラ・ロイはなぜ今起こっていることを予想できたか?それは、彼女が念入りにパレスチナとイスラエルの歴史を調べ、実際にパレスチナに赴き、イスラエルのウソと欺瞞を徹底的に暴いたからだ。イスラエルの欺瞞を暴いたサラ・ロイの勇敢さと、誠実な知性は称賛に値する。チョムスキーといい、サラ・ロイといい、こういう優れた批判能力を持つ学者が出てくるアメリカは、やはり民主主義に自浄能力のある自由の国なのだと思う。イスラエルの欺瞞はオセロ合意からはじまった・・合意とは名ばかりで、現実はパレスチナは西岸とガザに分断されパレスチナ人の行き来は禁じられ、さらに検問所でいちいち許可を取らないと病院にも行けないほど、パレスチナ人の自由は奪われた。パレスチナ農民のオリーブの林は勝手に伐採され、立ち退かないと嫌がらせと暴行によって、入植者の土地は次々と増えていった。古くからの街道は破壊され、パレスチナ人の失業は増え、低賃金でイスラエルで働くことになるがそれも次第になくなり、今や90パーセントのパレスチナ人が失業状態。かろうじてパレスチナ人に食料は配給されるが、これこそイスラエルの望むことであったのだ。つまり、合意や、イスラエル撤退は表向きで実際パレスチナはイスラエルの過酷な占領下にあった。イスラエルに抵抗しない西岸に比べ、イスラエルの圧政に抵抗して、ガザに生まれたのがハマス政権なのである。「和平を望むイスラエル」と「テロリストのハマス」というプロパガンダが流布されたのはシャロン政権の時から。イスラエルは巧妙なやり方で「ハマス=テロリスト」のイメージを大衆にばらまいた。「人間の盾」もイスラエルの捏造した口実に過ぎない。今、私たちが目撃している暴力は、仮面をかなぐり捨てたイスラエル政府の真の姿かもしれない。

‥我々は恥辱を清らかな日光の下にさらし消毒して、きれいにするのではなく、恥を隠して深い穴に埋めて死んでいこうとしている・・『ホロコーストからガザへ』サラ・ロイ

ホロコーストで生き残った両親を持つユダヤ人学者サラ・ロイの書いたこの本は、フランクルの『夜と霧』に匹敵する名著だと思う。ティーンエイジャーの時、イスラエルの叔母のところに遊びに行ったサラは、ホロコースト時代のユダヤ人を(弱い)として軽蔑しながらも、政治的には被害者としてホロコーストを利用するイスラエル人にとても違和感を覚えたという。そして実際、パレスチナに行ったとき、初めて彼女はパレスチナ人がイスラエル人兵士からどのように侮蔑的に扱われているかを知り衝撃を受ける。(老人が孫の目の前で、イスラエル兵士たちからロバの尻にキスをしろと強要されるとか・・)イスラエルがホロコーストを恥辱の歴史とみなし、きちんと過去と向かい合えないまま、それが侮蔑と嘲笑という形で今度はパレスチナ人に向かっていくのを目の当たりにしたのである。

・・誤った方向へ行ってしまった世界を立て直すために、異論を唱えるということの倫理性と重要性こそは、ユダヤ教の教義の核心でもあるのです・・『ホロコーストからガザへ』

若い時から敬虔なユダヤ教徒で保守的なサラの母に比べ、叔母は無宗教の自由主義者で、叔母はイスラエルに住むことを選び、母親はアメリカに住むことを選んだ。その後、二人の立場は逆転し、叔母は視野の狭い保守的なイスラエル人になり、母親のほうがオープンでリベラルな人間となったのは、イスラエルとアメリカの文化の違いもあるが、何よりサラの母親がイスラエルの教義「共感、寛容、救援、犠牲者の声を聴くこと・・」など他の人間性を大切にするユダヤ教の教えをしっかり守っていたからだと分析している。つまり、それが宗教の教義であれ、人は自身の倫理基準をしっかり持っているほうが逆に家族を超えた横のつながり、普遍性につながってゆく、ということなのかもしれない。実際、今回の紛争で、正統派のユダヤ教徒がパレスチナを支持し、イスラエル兵に抵抗する映像も観たし、ニューヨーク、ワシントンの多くのユダヤ人もまたイスラエルのパレスチナ侵攻に反対してデモをしている。

・・自責の念を持たないことによって、傷を癒しているのです。・・『ホロコーストからガザへ』

この本の最後のところには、徐京植さんとサラ・ロイの対談が載っていて、在日朝鮮人である徐京植さんの受け答えが素晴らしいのだが、かつて中国人、朝鮮人を差別・虐殺した歴史を持つ日本人としては、その言葉は棘のように心に突き刺さる。しかし、こうした自国の差別と暴力を、まず受けいれない限り、平和は訪れないだろう。個人でも民族でも自分に都合の悪い歴史を見たくないのはわかるが、過去を受け入れないとそれはねじれた状態となって大きな禍根を残すことになる。おそらく、イスラエルはパレスチナを存在しなかったことに、あるいは抹殺することによって、自身のホロコーストの過去(弱いユダヤ人)も一緒に葬りたいのだろう。

原爆を落とされ敗戦国となった日本人の差別心が、加害国ではなく、むしろ日本の被害国である中国や韓国に向かうのも、シオニストにも通じる屈折した心理にあるのかもしれない。過激なシオニストがパレスチナ人を侮辱するのと、ネット右翼が嫌韓・嫌中国でヘイトスピーチをするのはとても似ている。侮辱したり迫害しながらパレスチナ人のせいにするイスラエル人と、かつて侵略した中国・朝鮮半島を侮蔑する日本人の心理は似ている。弱みを持つ人間ほど、誰かを見下す、あるいは否定することによってかろうじて自身のプライドを保とうとするが、両方とも過去の歴史ときちんと向かい合えなかったために起こったことではないだろうか?

過去を隠した「強いイスラエル」とか、歴史修正主義の「美しい日本」のような、美辞麗句でごまかしたナショナリズムがいかに危険かということは今のイスラエルを見ればよくわかる。

自民党議員がイスラエル応援で日の丸の旗を皆で振っている映像を見たが、SNSで「ハマスはテロリスト」と騒いでイスラエルを支持する日本人は、やはりネット右翼なんだろう・・

信頼というものを持たない人間同士の関係は「仮想敵」やヘイトスピーチによって、特定の民族を差別することによって、安易につながる。それが「愛国心」の表明としても、そうしたネガティブな連帯は貧しく脆弱なものでしかない。それより、「弱者に寄り添う」「共感」、そうした「倫理」による連帯のほうが、人間関係としては明るく健全だし、一緒に同じ方向を目指すことによって、そこに本当の連帯が生まれてくるだろう。それはアメリカ人であるとか、日本人であるとか、韓国人、ユダヤ人、イスラエル人であるとかは全く関係ない、国境を越えた連帯になるだろう。だから今、若い世代を中心に世界中で起こっている「Free Palestine」運動が、私には一筋の希望の光に見える。パレスチナがどんなに長いこと苦しい状況にあったか、今や多くの人々に可視化されている・・それはあまりに悲惨でむごいものではあるが・・しかし、パレスチナがどんなに破壊されても、すでに正義の女神はパレスチナ側にいる。そして、いつかきっと幸福な日常が再び戻ってくるだろう。

アルビノーニのアダージョはGマイナーが有名だが、夜明けのような、再生を感じさせるDマイナーのほうを選んだ。パレスチナ人のみならず、傷ついたイスラエル人にも、いつかまた立ち直る日が訪れることを祈っている。

                 参考
   『パレスチナ人は苦しみ続ける』高橋宋瑠
                    『ガザの空の下』藤原亮司
                    『パレスチナとは何か』エドワード・サイード
                    『ホロコーストからガザへ』サラ・ロイ

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