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海の見る夢 №58 [雑木林の四季]

      海の見る夢
          -グールドの「ゴルトベルク変奏曲」-
                      澁澤京子

   1948年(イスラエル建国)以降、私たちの存在は、ずっと軽視されてきた。
                      E.W.サイード『パレスチナとは何か』
   
 ずいぶん前のことだった。「武器輸出三原則」が廃止されたとき、故・安倍元首相が満面の笑みを浮かべてイスラエル・ネタニヤフ首相と握手している写真を見た‥それと前後してかその後まもなく、ガザの大空爆が起こったから、あれは2014年だった。日本から輸出された武器の部品が、イスラエルの兵器として使われたとすると、パレスチナ問題は日本人にとっても他人事ではない。2014年のガザ空爆では、国連施設の学校、そして病院も幾つか攻撃されたので、今回のキリスト教系病院の爆発も、イスラエルの仕業としても少しもおかしくない。(イスラエル側は否定)ガザのキリスト教教会も爆破されていて、今のパレスチナ紛争というのは宗教対立ではなく、明らかに政治的なもので、それはイスラエル建国,さらに遡ればオスマン帝国の衰退と英仏による中東分割から始まったものだろう。(・・オスマン帝国時代はユダヤ教もキリスト教もイスラム教も争うことなく共存していた)

 われわれにとっての真理と理性の基準は、自分が住む国の意見や習慣という規範や観念しかないというのは本当のことだと思われる。『エセ―』モンテーニュ

500人以上の死傷者の出たアル・アハリ病院の爆撃後、「Stand With Palestine」の声は次第に増加していった、中東諸国はもちろん、ロンドン、パリでのデモ、ハーバードなどアメリカの大学生のデモ。グレタさんをはじめとして、パレスチナを支持するのは若い世代が多い。ハーバードの学生の「沈黙するのは共謀すること」というシュピレヒコールが印象的だった。

ラファ検問所まで自ら赴き、ガザまで人道支援のトラックを通すように説得したグテーレス国連事務総長(元・ポルトガル首相)は、国連安保理では堂々とパレスチナの置かれた窮状と歴史的経緯を演説し、イスラエル外相を激怒させたが、実に公正な人間らしい態度と思う。

イラク戦争の時にインターネットで知り合ったKさん。当時は国際刑事裁判所にいたが今はフリーの翻訳家になっていて、何年か前にツイッターで、久しぶりに再会。Kさんの発信する情報は有益なものが多い。専門の国際法の知識と情報分析はさすがに的確で、イラク戦争の時、ずいぶん彼から教わった。今回、発信したツイッターの情報(Kさんが翻訳)の中の、エジプトの検閲所でエジプト人ジャーナリストの女性が、CNNの女性キャスターに啖呵を切る映像はすごい迫力。エジプト人女性の「・・あなた方(欧米)のカスタマイズされた民主主義がハマスを作った」という訴えは切実で、アラブ=テロリスト、あるいはイスラム教=テロリストというステロタイプの刷り込み。そうした偏見の中でパレスチナは見捨てられたまま、ハマスは生まれたということだろう。今の若い世代にパレスチナ支持者が多いのは、そういった偏見を持たないせいかもしれない。偏見や短絡的な決めつけというのは視野を狭め、人の思考や感受性を不自由にし、いつしか暴力的なものとなる。イスラエルの政治家はハマスをモンスター、ケダモノ呼ばわりしているが、いったいどっちがモンスターなのか。

モンテーニュは16世紀、南米インディオが「野蛮」と言われていた時代に、「野蛮なのはむしろ我々(フランス人)のほうじゃないか」と批判した。こういう柔軟さは、優れた「知性」の証だろう。モンテーニュは高い地位にありながら、自身をその地位の高さと同一視するような愚かさは決して持たなかった。(モンテーニュは政治家だったから余計に、自分の地位と自身を切り離す必要があっただろう)彼は、人にとって最も大切なものは肩書や階級、国や民族といった外側にある属性ではなく、内側にあるその人の「徳」と「品性」にあると考えていた、だから南米インディオに対しても決して偏見を持たなかったのだ。このモンテーニュの態度は、肩書など外側ばかり気にしているうちに中身が空っぽになってしまった人間(こういう日本人が最近増えたんじゃないか?)とは正反対なのである。

さらに偏見が容易に暴力になるのは、パレスチナ=テロリストという漫画のような単純さで、イスラエルといえば、イスラエルやユダヤ人全員のように短絡的に捉える愚かさにある。イスラエルと言っても、ガザ侵攻に反対したイスラエルの正統派ユダヤ教徒とか、アメリカでイスラエル政府に反対してデモするユダヤ人、平和主義のまともなイスラエル人、ユダヤ人はたくさんいるのである。命がけでガザ侵攻に抗議するイスラエル人、ユダヤ人は少なくない。日本人にもいろいろな価値観の人間がいて、決して一括りにできないように、パレスチナ人、イスラエル人、ユダヤ人、日本人、どこの国にも偏見の強い浅薄な人間から平和主義者までいろんな人がいるだけ。

今のパレスチナの状況についてとてもわかりやすいのが『パレスチナ人は苦しみ続ける』という本。(この本もKさんの紹介)著者の高橋宋瑠さんは2009~2014年まで国連人権高等弁務官事務所のパレスチナ事務副所長として5年間、エルサレムに在任され現場をよくご存じの方。イスラエル兵によるレイプや拷問は日常でも頻繁に起こり、想像以上のパレスチナ人の置かれた劣悪な状況に、目からうろこだったという。日本から遊びに来た友人を案内すれば、何も説明しなくとも「アパルトヘイト」という感想を誰もが述べたのは、イスラエル側はプールのある立派な住宅が少なくないのに比べ、パレスチナ側は飲み水さえ不足するような劣悪な貧しい環境だからだ。

さらに、イスラエル国内でも貧富の差は激しく、まるで戦前の日本のように一握りの財閥だけが裕福な格差社会。IQが高ければ空軍か諜報員になれるが、低いと国境警備員というようなヒエラルキー社会で、要するに、新自由主義経済を具現化したような格差の激しい国なのだ。新自由主義経済、イスラエル、軍需産業、ネオコン、キリスト教原理主義とのつながりが詳しく書かれていて、イラク戦争の時からパレスチナ問題に興味を持った私には「なるほど」と納得させられる本だった。ネオコンとキリスト教原理主義(キリスト教右派)の関係は、安倍政権とネット右翼との関係に似ている。

冒頭で、「武器輸出三原則」が緩和された際の、ネタニヤフ首相と故・安倍総理がうれしそうに握手している写真の話をしたが、パレスチナ問題に、軍需産業が絡んでいるのは間違いないだろう。

かつて私が読んだ小説の中でも、最も救いのない小説がガッサーン・カナファーニーの『ハイファに戻って・太陽の男たち』だったが、あの小説はパレスチナの現実そのものなのだと今更ながら納得する・・(1972年・36歳の若さでイスラエル諜報員によって殺されたパレスチナ人作家)

・・愛国主義は、他の土地に火災・疾病・飢饉をもたらすための口実となり、その結果、効力を持つものと言えば、疑心暗鬼と、他者の行動や動機に眼を光らせる偏狭で嫉妬深く詮索好きな警戒心ばかりである・・ウィリアム・ハズリット

サイードの文章から又引用したハズリットの言葉は、今のイスラエル政府やハマス、ロシア、そしてどこの国にも存在するタカ派、仮想敵によって団結する大衆、そして、ゴシップなど詮索好きな今の日本人にもそっくりそのまま当てはまるのではないだろうか。ネタニヤフ首相はついに、光と闇の戦いと言い始めたが、光と闇の戦いは己の心の中にとどめてほしいものだ。今のイスラエル政府のやっていることは、民族浄化じゃなくて何なのだろう?
これを書いている今もガザに対する攻撃は続いている。殺された子供の数は今の時点で3595人。瓦礫の下には、まだ1000人以上の子供が埋もれたまま。(ガザ保健省による)電気はなく病院は機能せず、しかも今、すべてのガザの通信網は切られ、密室の大虐殺がはじまったらしい。これからいったいどれだけパレスチナ人が殺されないといけないのか・・どんなに恐ろしい悪夢だって、今のガザよりはずっとましだろう・・

・・悟りや幸福や洞察は、苦しみや混乱という土台があって初めて生み出されます。ティク・ナット・ハン

ベトナム戦争の泥沼を潜り抜けた、ティク・ナット・ハンというベトナムの禅僧がいる。彼は「深く吸って」「息を長く吐く」という呼吸法と瞑想によって、戦争によっておこる怒りや憎しみ、悲しみを乗り越えた。彼の師は、焼身自殺という形で世界に反戦を訴えたベトナム人僧侶。ベトナム戦争、自身の暗殺の危険、死線を幾度も乗り越えただけに、ティク・ナット・ハンの言葉は深くて説得力があり、クリスチャンにもファンが多い。余程、鍛錬されたお坊さんだったのだろう、戦時中、負傷した人を手当するときにもこの呼吸法を行っていたという。ニュースや映像を見ればどうしても怒りと悲しみが沸き起こってしまう今のこの状況で、ティク・ナット・ハンの本は、私自身の救いになっている。

・・グレン・グールドは音楽におけるどんなことでもやってのける最後の人物だと思う。
                                 E.W,サイード

パレスチナ人のサイードは音楽を愛した。(一時期、プロのピアニストになろうかと考えていた)特にグレン・グールドを絶賛して、グールドの「ゴルトベルク変奏曲」については長い賛辞を書いている。サイードにとって、グールドの「ゴルトベルク」を聴くことは、祖国パレスチナのつらい現実を乗り越えるための瞑想のようなものだったんじゃないだろうか?

黙って「聴く」という行為はとても大切なこと。私たちに必要なのは、殺されたイスラエルとパレスチナの市民、今も瓦礫の下に埋もれたままの多くのパレスチナ人の沈黙、そして、電気も水も食べ物も不足しているガザの人々の声なき声に、じっと耳を傾けることなのかもしれない。

これを書いている今、国連総会で人道的休戦を採る決議案が採決された。賛成120ヵ国。反対はイスラエル・アメリカなど14ヵ国。予想はしていたが、欧米の顔色を窺って日本が棄権したのは、本当に情けない。ジャニーズのようなスキャンダルには「人権」と目の色変えて大騒ぎ、こうした国際社会でのひどい「人権」問題になると、日本人はなぜ寡黙になるのだろうか?

最後に、ツイッターの匿名投稿を引用しておく。

「(ロンドン、パリ、ニューヨーク、その他の国々で起こっている大規模デモの写真・・パリでは罰金が科せられているのにもかかわらず多くの市民がデモに参加)なぜ日本ではこれだけ大規模のデモが起きないのか?目の前で大勢のパレスチナ人の子供が殺されているのを平気で傍観できる感性には、人間として何か、欠けているものがあるのではないか?」



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