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武州砂川天主堂 №35 [文芸美術の森]

第十章 明治二十・二十二年 1

         作家  鈴木茂夫

一月十三日、御殿場・鮎沢村。
 木造二階建ての家屋が完成した。聖堂は、四世紀に殉教した若いギリシャの工女の名にちなみ、フィロメナと命名した。ジェルマンは、この聖堂でミサを執行し、説教した。会衆は六人の患者である。

一月二十日、御殿場・鮎沢村。
 大家(おおや)の男がジェルマンに訴えた。
 「神父さん、実はお貸しした家を空けて欲しいんです」
 「何があったんですか」
 「袖父さん、この家には、ハンセン病患者を一人だけ住まわせるのだと思って貸したんですが、六人もの患者が入っていて、村の衆が気味悪がっているんです」
 「あなたとお話しして、借用証書を作った際には、私がどのように家を使うがは、何一つ問題になっていませんよ。それにハンセン病患者は、きちんと治療すれば、恐ろしいものではありません」
 「そりゃ、神父さんの言うとおりです。村の衆は、ハンセン病患者がいることが気に入らないんです」
 「大家さん、あなたが村の衆に、どのような賃貸契約になっているかを説明すれば、済むことじゃないですか」
 「それもその通りです。ただ事情は、もう少しこみいっているんです。恥を忍んでぶちまけますが、私は村の衆に借金があるんです。村の衆の言い分は、借金を返済しろ、それができないなら、神父さんに家を空けてもらえと言っているのです」
 「大家さん、あなたの借金は、あなたの問題で、私とは関係がありません。それに、私は約束した家賃をきちんと支払っています。ですから、あなたの借金は、あなたと村の衆とで話すことですね」
 「村の衆は、私が借金を返済できないのを知っているんです。だから、家のことと借金を関係づけて言っているんです。それに私は病気がちなので困っているんです」
 「突然、家を空けろと言われても、困りますし、あなたの言い分は筋が通りません」
 「神父さん、私の弱い立場も考えてくださいな」
 ジェルマンは頭を抱えて考えた。大家の申し出は、まるで筋違いのものだ。それが理不尽であることを大家にも主張した。問題は、大家の借金にあるのではない。ハンセン病患者の収容施設が村に出現したことにあるのだ。その方便として、村の衆は、大家に借金を返せと言い続けるだろう。愛と慈(いつく)しみを説く宗教者として、どうあるべきかを考えねばと思う。
 気の弱い大家を追い詰めるような状況にしておいてよいものだろうか。それに、ハンセン病施設が非難の対象となるのは、家を借りているからだ。自分の所有地に、自分の施設を建ててさえいれば、どれほど無理解な人びとから非難されても、追い出しの対象となることはない。
 それと、一軒の農家に収容できるのはせいぜい十人だろう、それ以上は無理だ。大勢の薯を受け入れて、ハンセン病書救済の展開をはかるには、新たに病院を建築することが何よりだ。大家の申し出がキッカケとなって、ジェルマンは、自らの土地を確保することを決意した。
 それには、相当な資金が必要だ。パリ外国宣教会には、それに応じる財政的余裕がない。
 内外の多くの信徒の寄付に待つことになる。

『武州砂川天主堂』 同時代社


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