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武州砂川天主堂 №33 [文芸美術の森]

第九章 明治十八・十九年 2

        作家  鈴木茂夫

九月十二日、築地・聖ヨゼフ教会、皇居。
 午前十時、宮内省からの貴賓用の馬車二両が築地の聖ヨゼフ教会に差し向けられた。一両目には、オズーフ司教とミドン副司教が同乗、二両目には浅草教会主任司祭プロトランドが乗り、一旦、永田町のフランス国公使館に寄り、公使キエウイツと書記官を同乗させ、二名の騎兵の先導によって赤坂の仮皇居に向かった。
 仮皇居に到着した一行は、午前十一時、式部頭(しきぶのかみ)の案内で参内、フランス国特命全権公使ジョセフ・アダム・シエン・キエウイツが、天皇にオズーフ司教を紹介し、表一の間で謁見が行われた。続いて
日本政府側からは外務卿井上馨、宮内卿伯爵伊藤博文、式部長官侯爵鍋島直大(なべしまなおひろ)らが出席、待立する中でオズーフ司教は、次のような挨拶を天皇に申し上げた。
 「天皇陛下、レオ十三世教皇が、陛下の治め給う日本国に起こりし進歩を視し、他の世界中の大なる国々の帝王の如く、陛下に親密なる交際を結びたく思っておりました。ことに教皇は、陛下の政事(まつりごと))の大なる高き望みをどこまでも大切に思い、また格別に陛下の御身(おんみ)に対してその心にいかなる親愛の情を懐けるかを、陛下に直ちにお知らせしたいと今、陛下に書簡を差し上げるため、教皇がオズーフを召し、その代理としてこの書簡を陛下にさしあげることを命じられたのであります。願わくば、陛下の治め給う日本国に起こった進歩がますます進歩し栄えていきますよう、また、陛下の誉れと日本国民の幸福を切に祈念するものであります」

 オズーフ司教は、レオ十三世の親書を天皇に奉呈した。

 神聖なる天皇陛下、海山遠く隔たるとはいえ、私は陛下がひたすら日本国の隆盛に努力なさっていることを存じております。そもそも天皇陛下が国民の風俗、教育に力を注がれるのは、陛下の聡明英知を証明するものであります。社会秩序が安定しているのは、最も国民をして知意と誠実さを享受する徴(しるし)であります。また、私は日本国におけるフランス人神父と日本人信徒を温かく受け入れていただいていることに感謝いたします。国の基礎は、正しき道にあります。日本人信徒は、信仰を深めると共に、国の君主に忠義をつくし、国法を守り、平和を大切にするものであります。

 明治天皇は、日本におけるキリスト教宣教師の保護と、日本人信徒も他の国民と同様の保護が与えられると言葉をかけられた。十一時三十分、謁見が終わり、別室で茶菓子、巻
きたばこなどが差し出され、正午、仮皇居を退出。

明治十九年十月四日、御殿場・鮎沢村(あゆさわむら)。
 収穫を終えた鮎沢村の稲田には無数の切り株が残っている。田の土が乾いていた。刈り取られた稲の束は、田ごとに稲架(はさ)にかけられ乾燥している。
 秋の日差しの中をジェルマンは歩いていた。歩き続けた体がほてって喉の渇きをおぼえた。目の前に、水車小屋があった。小川のせせらぎの水を受けて、水車が回っている。ジェルマンは、水車からのこぼれ水を掌に受けて口に含んだ。
 その時、小屋に付属した物置と見えるところで、何かが動いた気配がした。
 ジェルマンは、しゃがみ込んでのぞき込んだ。丸まった布地が僅かに動いている。ジェルマンは瞳をこらす。大きい丸と小さい玉が二つある。よく見ると、小さい玉は頭だ。髪の毛が乱れたままになっている。どうやら女性らしい。大きい玉はポロ布のかたまりのようだが、それはうずくまった人間だと分かった。そこからは、悪臭が洩れてくる。
 ジェルマンは声をかけた。
 「今日は」
 「……‥…l
 「今日は」
 ゆっくりと頭が回り、顔があらわになった。傷つき、ただれた顔がそこにある。眼は半ば、閉じられていて視線が宙に浮いていた。盲目なのだ。ジェルマンは、思わず息をのんだ。
 「今日は」
 「こんにちは」
 初めて返事が返ってきた。しわがれてはいるが意外と若い声だ。
 「ここに住んでいるのですか」
 女は、とつとつと語りはじめた。
 「あたしが、こんな病にとりつかれたので、家を出され捨てられて、ここにいるんです」
 「あなたのお名前はなんと言いますか」
 「あたしはこの村の生まれです。名前を言うと家の恥になりますから、申せません。あなたはどこの誰ですか。聞いたことのない話し方をされる」
 「私はフランス人です。カトリックの神父です」
 「キリストさんは優しい。あたしのような者に声をかけてくれるなんて」
 「神様は、どんな人にも優しいのです。私はその神様の声を取り次いでいます」
 「神父さん、あたしの身の上話をしましょう。あたしは、村で産まれて二十歳になった時、嫁にいきました。亭主は良い人でしたから、幸せでした。子どもにも恵まれて暮らしているうち、三十歳になった頃、病気が出たんです。はじめは顔の吹き出物と思っていたんですが、だんだん、顔が崩れてきたんです。医者に診てもらいましたら、ハンセン病と言われました。この病気は直ることはないと言われました。親戚や近所の人たちが、伝染するといけないと、あたしを避けるようになりました。やがて、優しかった亭主も冷たくなりました。家を守るためには、お前を捨てるしかないと、この水車小屋の横に、小さな小屋を建て増してて、入れられたのです。病気が進み、眼が見えなくなりました。そのため、自分で炊事もできなくなりました。今では、一日に一回、飯を届けてくれるだけです。
あたしの兄は、僧侶です。兄は、お前のような者がいるおかげで、みんなが迷惑していると叱ります。命をちぢめようと思いましたが、体が不自由でそれもできないのです」
 そう言い終わった女の眼から大粒の涙がこぼれでた。
 ジェルマンの背筋に、戦慄が走った。これは神の手引きによる出会いだと直感した。「神の国は微少なる者のためで、偉大なる者のためではない、貧しき者、謙遜なる者のためで、富める者、倣慢な者のためではない」という聖旬が浮かぶ。神の慈悲を社会のどん底に喘いでいる人に伝えるのだと悟った。

『武州砂川天主堂』 同時代社



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