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海の見る夢 №61 [雑木林の四季]

    海の見る夢
          ―グローリア~ヴィヴァルディー
                         澁澤京子

 九月になっても猛暑が続き、台風が遠く過ぎ去った日曜の朝。透明な眩しい陽の光は、まるで西脇順三郎の詩にある「覆された宝石のような朝」のように地中海的な乾いた陽の光で、地球温暖化とはいえ、初秋の透明な空気と陽射しの強さが美しい朝を与えてくれた。子供の頃は、あたかも天の高みから天使がラッパを吹くような感じの清々しい朝を迎える事がごく時たまあったが、この年齢になって、こういう朝を迎えるのは本当に久しぶりなのである。何もかもがくっきりと見える感じは、音楽でいえばヴィヴァルディの感じ。「秋」というより「グローリア」だろうか。
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8月にアメリカから帰省して、我が家に二週間ほど滞在した年上の従妹Sは若い時から熱心なカトリック信者。彼女の強い希望によりシスター・キャサリンに会わせるため、日曜日に鎌倉のカトリック教会のミサで待ち合わせしたのである。アメリカに永住する事を決めた日本人と、来日してから54年。54年間も日本で坐禅修行を続けているアメリカ人であるシスター・キャサリン。人生って面白い。

鎌倉という町は仏教とキリスト教の交流が盛んらしいが、シスター・キャサリンほど、禅とキリスト教の両方を深く理解している人はなかなかいないんじゃないだろうかと思う。しかも彼女には、いわゆる禅臭さやキリスト教臭さといったものが一切なく、それは、もともと彼女が自由で聡明な人間だからなのかもしれないが、老若男女問わず、彼女を尊敬して慕う人は多い。彼女を慕うあまり鎌倉に移住してきた女性もいるほどで、結局、人を説得できるのは言葉ではなく、人の「存在」そのものなのだな、としみじみ思う。シスター・キャサリンだけじゃなく、常に他人のために生きてきたシスターたちには、黙っていても温かでおおらかな雰囲気を持つ人がとても多いが・・

従妹は1946年生まれ。私が子供の時からその印象が全く変わらないのは、若い時から大人っぽかったせいかもしれない。私がまだ学生の時、しきりにキリスト教入信を薦めてくれたのも彼女で、その時は興味がなかったが、巡り巡って、またキリスト教でつながる事になったのである。二週間の間、私の狭い部屋をシェアして毎晩遅くまでおしゃべりしているうちに、初めて聞く話もたくさんあった。彼女が若い時、ジャズヴォーカルの学校に通っていたことも、渋谷百軒店のジャズ喫茶に通っていたことも初めて知った。彼女がよく通っていたジャズ喫茶は「オスカー」。百軒店の坂を上り、ムルギーを曲がったところに昔、映画館があったがその近辺か・・「オスカー」はその後渋谷リキパレス(取り壊された東急プラザ裏の急な坂の上あたり)の下に移転したらしいが、もちろん私は「オスカー」については両方とも知らない。Sの母親(つまり私の叔母)のクラシックギターの教え子が、「ムルギーカレー」のおじいさん(すでに故人・カレーを注文すると必ず「ムルギー卵入りね」と念を押した、足の悪いおじいさん)であったとか・・思いがけず、昔の渋谷百軒店の話を聞くことができたのだ。荒木一郎が百軒店のジャズ喫茶「ありんこ」に通っていたのもこの頃だろう・・彼女が通っていた時も、ジャズ喫茶では若者は深刻な顔でジャズを聴くのが定番だったという。オスカー・ピーターソンが好きだというので、友人からもらったオスカー・ピーターソンのCD「ロマンス」を従妹と一緒に聴いた。

クラシックギターの先生だった叔母は、ほっそりとしたきれいな人だったのを覚えている。まだ子供の頃、祖父の家の庭で遊んでいると、「いいものを差し上げますから、ちょっとそこで待っていらして。」と言われ、ずいぶん長いこと待っていると再び現れ、きれいなリボンをかけられたお菓子の包みを下さった思い出がある。

従妹が通っていたころの百軒店は、ちょうどジャズ喫茶文化の全盛期。私が通っていた頃の百軒店のジャズ喫茶はちょうどジャズ喫茶が廃れ始めたころで、マニアックなジャズファンのたまり場だったが、従妹が通っていたころはマニアックというより、音楽好きのスノッブな若者のたまり場だったのかもしれない。

今回、従妹をいろんな人に紹介したら、何人かの人から私と従妹が「似ている」と指摘された。顔や雰囲気はもちろん、男友達が多くて、男友達と一緒にいるほうが楽という中性的な性格も私に似ていて、人は年取ってくるにつれ、自然に似た者同士が寄り集まってくるような気がする、まるで魂が寄り添いあうように・・人の縁というのは不思議なもので、どこかでつじつまがあうようにできていているのだろうか?

日曜日の鎌倉はすごい人込みで、海が近いというのに東京並みに暑い。これからアメリカに帰る従妹と、アメリカから帰国したばかりのシスターをやっと会わせることができた。従妹がシスターにプレゼントしたのは、子羊のイラストの描いてあるTシャツ。シスターは「迷える子羊」を導く役割の方だが、私たちのほとんどは「迷える子羊」で、自分が迷っていることすら気が付かないのかもしれないな‥とぼんやりと考える。

しかし、迷える子羊である私にも、煌めく陽光の素晴らしい朝が与えられることもあるのであって、世界はやはり神秘なのである。


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