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武州砂川天主堂 №32 [文芸美術の森]

第九章 明治十八・十九年 1

        作家  鈴木茂夫

三月十二日木曜日、武州砂川村・聖トマス教会。
 朝七時、島田角太郎は、晴れの日を迎えた教会の前に立った。教会は、砂川村二番組の五日市街道から四十メートル南に奥まった義父泰之進の屋敷内にある。あたりに人気はない。角太郎は、十字を切って深く頭を下げた。
 建物の正面には門柱が立てられ、玄関まで背丈ほどの樹木が何本も植えられている。教会は間口四間(七二二メートル)奥行き八間(十四・五メートル)、白塗りの瓦葺き平家建てだ。正面の屋根には、十字架。天主堂の標札。角太郎は、教会の内部に足を運ぶ。北側にしつらえられた玄関を入ると、そこから朝日が五色に染まって射し込んでいる。聖堂の南端に十字架と燭台のある祭壇が設けられ、その両横には、小さなステンドグラスが入っているのだ。東側に張り出しの廊下、信徒の座る身廓は板張りの床だ。また、祭壇の右手に小さなオルガンが置いてある。それはジェルマンのものだ。故郷テイヴエ村の信徒たちの寄付金で買い求め、ジェルマンが教会を創った時に、役立てて欲しいと贈ってくれたのだ。ジェルマンは砂川の教会の基盤を固めた。
 砂川村では、八王子の聖璃利亜教会に次いで懸命に伝道に励んだ。だから格段の思い入れがある。そこで、ぜひオルガンを贈りたいと申し出たのだ。
 砂川村で神の教えが初めて説かれたのは、角太郎が十二歳の明治九年のことだった。角太郎も二十一歳となっている。
 それから九年、信徒たちは、いつかは教会を創ろうと、集まりのたびに少しずつ献金し続けてきたのだ。
 午前九時過ぎ、人びとが集まりはじめた。
 三ツ木村の比留間邦之助が荷物を積んだ大八車を引かせて姿を見せた。
「めでたいことだ。私は神父さんが教会に泊まった時に、よく眠れるようにと夜具を持ってきたんだよ」
 荷物をほどくと、絹布(けんぷ)の布団が現れた。
 羽織で正装した男女の信徒約八十人がつぎつぎと訪れ、教会の堂内には、小さな話の輪がいくつもできた。
 黒い法服の四人の神父が元気に歩いてきた。エブラル、ロコント、リギヨル、レーだ。
 村の人たちも、見物に詰めかけてきた。教会を取り巻いて人垣ができ、五日市街道まであふれ出る始末だ。
 午前十時、ミサを、主宰するエブラル神父が祭壇に立った。
 「きょうここ武蔵国北多摩郡砂川村に、わが主イエス・キリストがわれら人間の罪をつぐなう教会が完成いたしました。この教会はキリストの十二人の使徒の一人であるトマスの名を冠します。聖トマス教会であります。トマスは、インドに赴き、異教徒たちの奥地まで分け入り、神の教えを説き、その地で満身に槍を受け殉教したと伝えられます。私たちはトマスの熱烈な信仰に学んでいきたいと思います。さて、今日の慶びの目に到る道筋には、テストヴィド神父がしっかりと礎を固め、伝道士一条鉄郎さんのたゆみない努力があったのです。さらに信徒の皆さんの信仰心が一つとなって燃え上がった結果であります。教会は、私たちの心のよりどころとして、ますます堅く強く結ばれ、また神の教えを一人でも多くの人たちに伝えて行くことにしたいのです。ここに、教会の誕生を祝い、ただ
今から献堂式のミサを執り行います」
 ロコント神父がオルガンを弾く。

   天使祝詞(アヴェ・マリア)
   めでたし聖寵(せいちょう)充(みち)満(み)てるマリア、
   主(しゅ)御身(おんみ)と共にまします。
   御身は女のうちにて祝せられ、
   御胎内の御子(みこ)イエズスも祝せられ給う。
   天主の御母(おんはは)聖マリア、
   罪人(つみびと)なるわれらのために、
   今も臨終の時も祈り給え。
    アーメン

 柔らかいオルガンの旋律にあわせ、信徒たちは歌う。そのメロディは二番組の集落を包み、梅の花を撫で、麦畑の上を転がっていった。
 八王子の聖瑪利亜教会を代表して榎本いん子が祝辞を述べた。
 「カトリックの教えは、われわれが天国に到る道を明らかに示して下さいます。この尊き教えを、それは私がことさらに、述べ立てるまでもなく、既にみなさまは、よく理解されているところでございます。ただか弱き女の身でこの教えを人びとに伝える力の乏しいのを、嘆かないではいられません。きょう、砂川村に新たな聖堂が建設されたのに際し、大いなる慶びを禁じえません。本臼お集まりの信徒のみなさんは、百人を超えておられます。これから教会がますます発展されることを祈念いたします」
 ミサが終わると、洗礼を希望していた志願者十九人の洗礼が行われた。
 式典が終わると、赤飯が振る舞われた。教会の中は賑やかな話し声に満たされた。
 夜に入り、エブラル師による説教が行われた。

 幸福(さいわい)なるかな、心の貪しき者、天国はその人のものなり。幸福なるかな、悲しむ者、その人は慰められん。幸福なるかな、柔和なる者、その人は地を嗣(つ)がん。幸福なるかな、義に飢ゑ渇く者、その人は飽くことを得ん。幸福なるかな、憐憫(あわれみ)ある者、その人は憐憫を得ん。幸福なるかな、心の清き者、その人は神を見ん。幸福なるかな、平和ならしむる者、その人は神の子と称へられん。幸福なるかな、義のために責められたる者、天国はその人のものなり。我がために人なんちらを罵(ののし)り、また貴め、詐(いつわり)りて各様の悪しきことを言ふときは、汝ら幸福なり。
                   マタイ伝福音書・第五章第三節~第十一節

 「ある時、主イエス・キリストは、山に登り大勢の群衆に話しかけられたのです。今読み上げた聖句の中で、イエスは八回『幸福なるかな』と祝福の言葉を投げかけています。一瞬、これには謎めいた不可解な印象を感じます。しかし、これは外見的な充足感ではなく、イエスの慈しみの愛に満ちているのです。たとえば、『心の貧しき者』とは、自らの貧しさを心から認めて、ひたすら神を信頼する人のことです。まさにそうした人こそ、天国に迎え入れられるのです。この八項目を心静かに味わって下さい。そこにはイエスの姿とイエスが命を賭けて実現されようとする至福の心を汲み取ることができるはずです」
 これから教会は、堺幸助、内野茂兵衛、堺周平、境弥兵衛、それに伝道士一条鉄郎の五人が信徒代表としてとりしきる。
 教会は単に教会であるばかりでなく、宣教学校として付属の小学校を運営する。村の小学校の月謝を支払えない家庭の子どもたちを無料で教育するのだ。すでに三十人が希望している。宣教学校は、宮城県から来た一条鉄郎が教師を勤める。
                      *
 この目、ジェルマンは小田原を歩いていた。足腎も軽い。オルガンが聖トマス教会の警式に賛美歌を奏でるとうれしかった。また、角太郎からのはがきが手元にある。そこにはかならず、オルガンの音色を確かめに来て欲しいとあった。

『武州砂川天主堂』 同時代社



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