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武州砂川天主堂 №31 [文芸美術の森]

第八章 明治十一・十四年 3

         作家  鈴木茂夫

(明治十四年一月十五日 府中高安寺つづき)
議長が役員人事を提案。

  社長    砂川源五右衛門・砂川村
  副社長  吉野泰三・野崎村
  幹事    本多義太・国分寺村(ほんだよした・こくぶんじむら))
          板谷元右衛門・柴崎村(いたやもとえもん・しばざきむら)
          比留間雄亮・府中駅(ひるまゆうすけ・ふちゅうえき))
          中島弥兵衛・府中駅(なかじまやへえ・ふちゅうえき))
          中村半左衛門・大神村(なかむらはんざえもん・おおがみむら)

 「異議なし」
 「賛成」
 源五右衛門は、拍手とざわめきに眼を開いた。演壇には、役員の氏名が張り出されてある。
 源五右衛門は演壇に立った。
 「不肖小生は、はからずもみなさんにより、党の社長に推挙して頂いた。身に余る喜びとともに、その責任の大きさを感じます。われわれの目指すところは、人民の自治であります。それはわれわれの精神の問題であると同時に、われわれの村の繁栄発展を遂げることにあります。みなさんと手をとり、互いに協力し合って、力強く進んでまいりたいと思うのであります」
 源五右衛門は、自らの信念をロにした。口にしたことで、改めて活動への気力が充実してくるのを感じた。
 会が終わると、役員が集まってきた。           
 副社長の吉野泰三は、代々家業は医者だ。そのかたわら剣術に励んで、天然理心流の免許皆伝の腕前だ。源五右衛門と立ち会うと、温和な風貌に似ず、鋭い太刀さばきを見せる。幹事の本多義太は、国分寺の豪農・本多一族の重鎮、口を開くと熱弁をふるう。板谷元右衛門は、柴崎村の名主をつとめた家柄、学塾で、子どもたちを教育する。比留間雄亮は、物事の筋目を大切にする温厚な人だ。キリスト教伝道師の説教に自宅を開放するなどの開明派だ。中島弥兵衛は、府中で郵便局を営む。中村半左衛門は、天然理心流の剣術を修めている。
 剣術を通じて交わりを結んでいる役員がいるのがおもしろい。幕末には、多摩地域の豪農の多くは、たしなみとして剣術の修行をするのが盛んだったからだ。
 「みなさん、俺たち役員が党を引っ張ろうと言うんじゃない。党員のみなさんが、進みたい、こうしたいというのを世話どりするのが役目だと思う。よろしく頼みますよ」
 「砂川さん、その通りだ。世話役として勤めましょうよ」 ぺ

 三月六日、小田原。
 ジェルマンは軽く手を振って歩いて行く。かなたに小田原城の天守閣が輝いている。
 春の気配を含んだそよ風が、法服の裾を流れる。道ばたのタンポポのつぼみはまだ小さい。
 三十二歳の心身は爽快だ。ジェルマンにとって伝道とは、まず歩くことだ。神様の話を聞いたことのない人を訪ねて聞いてもらう。そし神様の話を聞いてくれる人を訪ねるのだ。
 巡回牧師であることをジェルマンは誇りに思う。パリの大神学院で聴いた巡回牧師の意義は、鮮やかに記憶している。

 『…すべて主の御名(みな)を呼び求むる者は救はるぺし』とあればなり。然れと未だ信ぜぬ者を争で呼び求むることをせん、未だ聴かぬ者を争で侶ずることをせん、宣(のり)伝ふる者なくは争で聴くことをせん。遺されずば争で宣伝ふることをせん『ああ美しきかな、着き事を告ぐる者の足よ』と録されたる如し。
              ロマ人への書・第十章・第十三節~第十五節

 ジェルマンは、この聖句にこそ巡回牧師の課題が含まれていると信じる。この聖旬に励まされてジェルマンは歩み続けるのだ。
 訪ねる先は、町中(まちなか)の武家屋敷の一軒を買い取りジェルマンが創建した聖ヨゼフ教会。明治十二年ジェルマンが洗礼したニ人の伝道士が民家を借りて布教にあたり、翌年には二十五人の信徒が生まれ、教会の基礎かできた。
 ジェルマンは説教壇に立ち、話しかけた。

 汝らは地の塩な。。塩もし効力是はば、何をもてか之に塩すべき。後は用なし、外にすてられて人に踏まるるのみ。汝らは世の光なり。山の上にある町は隠るることなし。また人は燈火をともして升(ます)の下におかず、燈台(とうだい)の上に置く。かくて燈火(ともしび)は家にある凡ての物を照すなり。かくのごとく汝らの光を人の前にかがやか
せ。            マクイ伝福音書・第五章・第十三節~第十六節

 キリスト者であることこそが、地の塩、世に光をもたらすのであると、信徒を励ました。

『武州砂川天主堂』 同時代社



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