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武州砂川天主堂 №30 [文芸美術の森]

第八章 明治十一・十四年 2

         作家  鈴木茂夫

十月二十五日、下壱分方村。
 オズーフ司教とジェルマンは、昨夜、山上家に泊まってこの日の朝を迎えた。
 二人は、山上家の近くに新築された建造物の前に立つ。
 間口五間(約九メートル)奥行き八間(十四・五メートル)の切妻造りの木造平家だ。それは村に創られた教会だ。正面玄関の上には「天主堂」の標識、棟の上には、高さ六尺(約「八メートル)の櫓(やぐら)があり、その上には十字架が設けられてある。
 「司教様、これが教会です。山上作太郎さんに伝道士をお願いしたのは、一昨明治九年のことでした。作太郎さんは、神様の話を村の人たちに話してきました。それから二年、信徒の数は五十人を超えました。山上家を集会所とした集いの度に、信徒の皆さんは、自分たちの教会を創ろうと基金を集めてきたのです。そのお金で教会は完成したのです」
 「テストヴイド神父よ、山上作太郎さんの活躍は、あなたからの報告で聞いてきました。それと同時に、あなたがどれほど一生懸命に村を訪れたかも知っています。私はとてもうれしいのです。この教会の建物は、さほど大きいものではありません。しかし、この教会は、日本人が自分たちの手で創り上げた最初の教会です。その意義は、とても大きいのです。神様も喜んで祝福して下さると思う」
 「司教様、教会のことで、ご報告しなかったことが一つあります。私にとってこの教会は、はじめて手がけたものです。とてもうれしいことですので、故郷にそのことを知らせたのです。すると両親が村の教会の信徒に話し、小さな鐘を贈ってきてくれたのです。鐘は教会の屋根の櫓におさまっているのです。私の小さな秘密でした。申し訳ありません。どうかご了解下さい」
 「どうして、私があなたを叱るであろうか。これはフランスと日本とが一つの神に結ばれた絆(きずな)の証(あかし)ではないですか。すばらしいことです。おめでとう」
 午前十時、教会の創立を祝う式典ミサがはじまった。
 オズーフ司教は、聖句を引用し、愛こそが何物にも代えがたい美徳であると説いた。

 たとひわれもろもろの国人(くにびと)の言(ことば)および御使の言を語るとも、愛なくば鳴る鐘や響く鏡鉢(きょうばち)の如し。(中略)愛は寛容にして慈悲あり。愛は妬まず、愛は誇らず、驕(たかぶ)らず、非礼を行はず、己の利を求めず、憤(いきど)ほらず、人の悪を念(おも)はず、不義を喜ばずして、真理(まこと)の喜ぶところを喜び、凡そ事忍びおほよそ事望み、おほよそ事耐ふるなり。(中略)げに信仰と希望と愛とこの三つの者は限りなく存らん、而して其のうち最も大なるは愛なり
                  コリント人への前の書第十三章より

 教会は、聖母マリアに因み「聖瑪利亜(せいまりあ)教会」と名付けられた。
 説教が終わると、「信仰宣言」を歌う会衆の声が高らかに堂内に響く。

   わたしは信じます 唯一の神全能の父
   天と地 見えるもの 見えないもの すべてのものの造り主を
   わたしは信じます 唯一の主イエス・キリストを 主は神のひとりこ

 その時、鐘が鳴らされた。
 「カーン、カーン、カーン」
 鐘は共鳴し、乾いた音色で集落の家々に響いた。
 ジェルマンは作太郎の手を握った。二人は何も言わなかった。それだけで、すべてのことがわかり合えた。ジェルマンは、胸がいっぱいだった。自分が手がけた教会が現実のものとなっているのだ。作太郎の頬が涙で濡れている。
 それを見守るオズーフ司教の眼も潤んでいた。

明治十四年一月十五日 府中・高安寺
 神奈川県北多摩軍府中駅の名刹・高安寺本堂に、正午を期して多摩地域の豪農衆約百五十人が参集した。自治改進党を創立するという。この日に先立ち、野崎村の吉野泰三、柴崎村の中島治郎兵衛、府中駅の比留間雄亮(ひるまゆうすけ)らは、北多摩の豪農有志による懇親会を開きたいと呼びかけ、去る五日、府中駅の料亭・新松本楼で約百人が会合、一党派の創立を呼びかけたところ、全員の賛同を得た。そこで北多摩全域に枠組みを広げようとこの集いとなったのだ。
 議長が党の規約を提案する。

 自治改進党総則
 第一条 我党ノ主義ハ人民自治ノ精神ヲ養成シ、漸ヲ以テ自主ノ権理ヲ拡充セシメントスルニ在リ
 第二条 前条ノ主義ヲ拡張セン為メニ、毎月二国会日ヲ定メ、演説又ハ討論ノ会ヲ開ク可シ

 大きな拍手で規約は確認された。
 参加者には、共通した思いで結ばれている。
 砂川源五右衛門は、眼をつぶり腕組みする。今こそ、何かをしなければならない。今なら、何かがはじまる、何かができそうな期待がある。
 その何かが、今語られているのだと思う。
 「人民」「自治」「権理」は、時代が産み出した新しい言葉だ。人民には、この国に住む誰もが差別されることはない平等だという思いがある。自治には、誰かに支配されるのではなく、誰もが主人公なのだという主張だ。そして権理とは、誰もが持っている、誰にも侵されないそれぞれの持ち分だ。
 この精神を形作るのには、急激、過激に社会の変革を行うのではなく、急がず穏健に、ことを進めようというのが漸(ぜん)の方法だ。
 参集した豪農の背後には、多くの自作農、小作農がいる。これらをひっくるめて社会の改良、発展を図るには、長い穏やかなやり方でなければいけない。また、そうでなければ、成功は望めない。
 こうした時代の言葉の中味は、これまでの社会には、なかったことだ。そしてこれまで誰もが経験したことはない。だからこそ、この言葉に勇気づけられる。この言葉の中身は、自分たちの手で確かめるより途はない。なぜか、この言葉に胸が高鳴るのだ。

『武州砂川天主堂』 同時代社

  

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