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西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №110 [文芸美術の森]

               奇想と反骨の絵師・歌川国芳

              美術ジャーナリスト 斎藤陽一

第5回 「和洋融合・シュールな風景画」

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 ≪奇々怪々なる風景≫

 上図は、歌川国芳が36歳頃に描いた風景画ですが、とても不思議な感じを与えますね。
 「守備の松」と呼ばれた名物の松は、墨田川西岸、現在の蔵前橋のあたりにあったのですが、この絵では、前に描かれた大きな岩と石垣の間に、柵に囲まれてわずかに見えているだけ。前景の三角形の岩と石垣が異様に大きく描かれている。通例の「名所絵」とはかなり違っています。
 さらに、大きな岩の前や石垣の間には、これまた大きくとらえられた蟹がうごめき、壊れた桶のタガが突き出ている。よく見ると、三角形の岩の頂点には、大きな船虫もいる。石垣の隙間にはタンポポが生えて、その花が上から垂れ下がっています
 どんよりとした空の色と、前景の暗褐色の色調とあいまって、まことに異様で、奇々怪々ともいうべき風景画です。

110-2.jpg   実は、この絵の発想源も、先述したオランダの書物『東西海陸紀行』の中の銅版挿絵であることが指摘されています。

 右図でご覧の通り、この蘭書の挿絵では、博物学的な意図から、珍しい南国の植物や果物を近景に大きく描き、背景には遠くの風景を描いて、エキゾチックで不思議な光景となっています。

 おそらく国芳はこの蘭書に挿入されている銅版挿絵を見て、従来の日本絵画とは異質の絵画世界に興味を抱き、自らの絵画に取り入れて、和洋融合の不思議な風景画を創り出したのではないでしょうか。

 歌川国芳は、いつも「何か面白い趣向の絵を描きたい」という思いの強い絵師だった。だから、当時の人から見れば新奇過ぎるような風景画が生まれたのだと思います。

≪江戸のスカイツリー?≫

 下図は、同じ「東都」(江戸)シリーズの一枚「東都三ツ股の図」。天保2~3年頃、歌川国芳36歳頃に描いた風景画です。
 「三ツ股」は墨田川下流にある土地の名前。遠くには永代橋が見え、その向こうには佃島があります。

 手前に、防腐のために船底を焼く人とそこから立ち上る煙を大きく描き、その後ろの水上に点々と数艘の船を配し、遠景を小さく描くことで、遠近感を演出している。
 空には、幾重かの雲がたなびき、のどかな気分がただよいます。

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 近年、はるかに見える対岸の左側に描かれている高い塔のようなものが「スカイツリー」に似ている、と話題になりました。半ば冗談で「国芳は、後世のスカイツリーを予告していた」などと面白おかしく言う人もいました。

110-4.jpg この塔のようなものの正体について、いくつかの説が提示されましたが、どうやら「井戸掘りやぐら」ではないか、ということです。

   右端の図は、国芳が描いた「子ども絵」ですが、職人に見立てた子どもたちが、高いやぐらを立てて、井戸掘りをしている様子が描かれています。
 確かに、形がよく似ていますね。
 「スカイツリー」の左側のやや小さい塔は、おそらく「火の見櫓」でしょう。

 「井戸掘りやぐら」だとすると、現実的には高すぎる感じがしますが、絵画的には、右側で画面を引き締める役割を果たしている。この二つの塔が無いと画面は締まらない。これは、そのような絵画的高さというべきでしょう。

 次回は、歌川国芳が描いた迫力ある「役者絵」を紹介します。

(次号に続く)


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