武州砂川天主堂 №29 [文芸美術の森]
第八章 明治十一・十四年 1
作家 鈴木茂夫
作家 鈴木茂夫
三月二十四日、横濱・聖心教会。
オズーフ司教がジェルマンを呼んだ。
「下壱分方村での布教はどうなっているのですか」
「司教様、お尋ね頂いてうれしいです。村の中心となっているのは、山上作太郎さんです。
作太郎さんは、村で皮革製造と質屋をしている有力者、山上春吉さんの息子です。この教会で私が洗礼し、伝道士として村で活躍しています。作太郎さんの妹カクさんも、熱心な信徒で、洗礼を希望しています。作太郎さんの伝道活動により、私が村を訪れると、数十人の人たちが、説教に参加します。教会を創りたいと募金もしているのです」
「テストヴイド神父、あなたのめざましい活動と、作太郎さんへの指導により、すばらしい状況になっていることがよく理解できました。私は村の人たちに会いたいと思います。ぜひ、連れて行ってください」
「ちょうど私は、明日、下壱分方村を訪ねる予定でした。喜んでお供します」
三月二十五日、神奈川往還、下壱分方村。
オズーフ司教とジェルマンは、早めの朝食を済ませると教会を後にした。
往還のあちこちに、桜が満開である。
「テストヴィド神父、あなたはいつもこの道を行くのですか」
「この一筋の道を行くのです」
「一筋の道を歩み続けるのが『巡回牧師』の使命ですからね」
「歩むことは楽しいことです。希望に向かって歩いているからだと思います」
「桜は美しいですね。春はこの国の自然が最も華(はな)やぐ時です。私はこの国に派遣されたことをよろこんでいます」
「司教様、私にも、日本は夢の国でした。司教様がパリの大神学院の院長をされている時、私は七人の仲間とこの国へ派遣されたのです。そして司教様も、今は日本北部の布教の総責任者として来られています。神様のご加護と恩寵を思わされます」
二人の足取りは軽やかだった。ジェルマンは、いつもそうしているように、鑓水(やりみず)の道了尊のある茶店で休憩、昼食を済ませて道を急いだ。
やがて下壱分方の村が見えてきた。
一軒の萱葺き屋根の上に、白地に大きな赤い十字架のついた旗がそよ風にはためいている。
「テストヴイド神父、あれは何でしょう。赤い十字架の旗ですよ」
「あそこは、作太郎さんの家です。集会所はもちろん、子どもたちのための学校にもなっているんですよ」
「この先の道に人びとが並んでいるが」
「村の人たちが私たちの到着を待っていてくれたんですよ」
出迎えの村人たちは、笑顔で二人にお辞儀した。
オズーフ司教は声をつまらせ、
「なんというありがたいことだろう。母国で教会を巡回しても、これほどの温かい歓迎を受けたことはない」
オズーフ司教はジェルマンと共に山上家を訪ねる。二間続きの座敷は人びとで埋め尽くされている。
このあと、希望している十二人に洗礼を施した。その中には、作太郎の妹カクがいた。
村人たちが喜びに沸いている中で、作太郎の父春吉は、警察に届け出る書類を二通作成していた。
届書(とどけがき)
右者此度横渡仏八十番天主堂教師(ヲッフ)(テストビット)二名伝導之為出張今日ヨリ来ル三十一日進止宿候間此段御届候也
右はこのたびよこはまはちじゆうばんてんしゅどうきょうし(オッズ)(テストヴィド)
にめいでんどうのためしゅつちようきょヨリきたルさんじゅラいちにちまでししゅくそうろうあいだこのだんおととけそうろうなり
明治十一年三月二十五日
九大区九小区 山上春吉
右戸長会議二付不在
代理書役横川忠兵衛
八王子駅
警察署御中
届書
右者去ル二十五日申上候通仏蘭西天主教師在留中講義候二付広布ノ為メ各処江立札候間此段御届候也
みきはさルにじゅうごにちもうしあげそうろうとおりふらんすてんしゅきょうしざいりゆうちゆうこうぎそラろうニつきこうふノたメかくしょえたでふだそうろうあいだこのだんおととけそうろうなり
明治十一年三月二十七日
九小区 山上春吉
右戸長会議二付不在
代理書役 横川忠兵衛
八王子駅
警察署御中
キリスト教信仰の自由が保障されている建前とは裏腹に、宣教師たちの活動は、治安当局に届け出ることが求められているのだ。
『武州砂川天主堂』 同時代社
『武州砂川天主堂』 同時代社
2023-07-14 22:56
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