西洋美術研究者が語る「日本美術は面白い」 №108 [文芸美術の森]
奇想と反骨の絵師・歌川国芳
美術ジャーナリスト 斎藤陽一
第3回 「武者絵の国芳」
幼い頃から絵を描くことが好きだったという国芳は、15歳の時、当時、多くの門弟を抱える浮世絵界最大のグループ「歌川派」総帥・歌川豊国のもとに入門、絵師のスタートを切りました。
しかし、多くの兄弟子たちの蔭で、なかなか才能を発揮する機会が得られず、しばらくは困窮の時期が続きました。
しかし、多くの兄弟子たちの蔭で、なかなか才能を発揮する機会が得られず、しばらくは困窮の時期が続きました。
国芳31歳の時、版元・加賀屋吉右衛門に起用されて「水滸伝」シリーズを描き、その力感あふれ迫力ある絵は世間の評判を呼んで大ヒットしました。
その後に描いた国芳の豪快な「武者絵」はますます評判を呼び、「武者絵の国芳」として画名が高まりました。
右図は、天保10~14年頃、国芳43歳頃に描いた「鎌田又八」。油がのり切った頃の国芳の「武者絵」です。
場面は、剛力無双の鎌田又八が、巨大な化け猫を退治する場面。
場面は、剛力無双の鎌田又八が、巨大な化け猫を退治する場面。
躍動感あふれる構図ですが、又八は涼し気な模様の浴衣を着て、赤い帯を締めている。
画面いっぱいに秋海棠(しゅうかいどう)の花が咲き乱れ、壮絶な格闘シーンなのに、どこか清新な感じがあります。
画面いっぱいに秋海棠(しゅうかいどう)の花が咲き乱れ、壮絶な格闘シーンなのに、どこか清新な感じがあります。
次に、右図は金太郎を描いた国芳の絵ですが、これも「武者絵」のジャンルに入れてよいでしょう。
これは、天保7年頃、40歳頃の国芳が描いた「坂田怪童丸」。江戸時代には、金太郎は「怪童丸」と呼ばれていました。
金太郎は、足柄山で山姥(やまんば)を母親として育ち、のちに源頼光に見いだされて「坂田金時」の名を給わったという荒武者です。
左下の四角い枠内には「怪童丸は父無く、足柄山の老婆、夢中に赤龍と通ずるを見て孕む子なり・・・」とあり、金太郎は「赤龍」の化身ということになります。
すなわち「赤」は古来「魔除け」「疫病除け」の色であり、「龍」は「水神」ということなので、金太郎の「鯉つかみ」は、子どもの元気な成長を祈る絵として喜ばれたモチーフでした。
金太郎は、足柄山で山姥(やまんば)を母親として育ち、のちに源頼光に見いだされて「坂田金時」の名を給わったという荒武者です。
左下の四角い枠内には「怪童丸は父無く、足柄山の老婆、夢中に赤龍と通ずるを見て孕む子なり・・・」とあり、金太郎は「赤龍」の化身ということになります。
すなわち「赤」は古来「魔除け」「疫病除け」の色であり、「龍」は「水神」ということなので、金太郎の「鯉つかみ」は、子どもの元気な成長を祈る絵として喜ばれたモチーフでした。
国芳が描いているのは、まさに、足柄山で野生児として育った金太郎が、滝登りの鯉をつかみ獲ろうとしている場面です。
「金太郎」は、国芳が好んで描いたモチーフのひとつですが、この絵は、国芳の金太郎を描いた作品群の中でも、傑作とされる作品です。
「金太郎」は、国芳が好んで描いたモチーフのひとつですが、この絵は、国芳の金太郎を描いた作品群の中でも、傑作とされる作品です。
滝を登ろうと躍動する巨大な鯉を、全身の力を込めてつかみ獲ろうとする野生児・金太郎・・・まことに生気みなぎる絵ですね。
金太郎と鯉には、上から流れ落ちる滝の水が襲いかかり、白いしぶきが画面いっぱいに飛び散っている。これが華やかな趣をそえています。
金太郎と鯉には、上から流れ落ちる滝の水が襲いかかり、白いしぶきが画面いっぱいに飛び散っている。これが華やかな趣をそえています。
国芳の色彩感覚にも注目!
金太郎の身体の「赤」と水流の「青」が鮮やかな対比をなし、実にモダンな色彩感覚を感じさせます。
金太郎の身体の「赤」と水流の「青」が鮮やかな対比をなし、実にモダンな色彩感覚を感じさせます。
鯉の頭部をクローズアップで見ると:
黒や灰色、茶褐色のグラデーションをつけながら精緻に描き、生きた魚のぬめぬめした感触まで伝わってきそうな描写ですね。
黒や灰色、茶褐色のグラデーションをつけながら精緻に描き、生きた魚のぬめぬめした感触まで伝わってきそうな描写ですね。
勿論、このような手の込んだ精緻な浮世絵版画には、絵師のみならず、彫師と摺師の超絶技巧も発揮されており、優れた腕前を持つ三者の技が一体となった時に名作版画は生れます。
浮世絵師としての国芳の特徴は、北斎とならんで、浮世絵の様々なジャンルに積極的に挑戦した絵師だったということです。
次回は、国芳のそのような作品を紹介します。
(次号に続く)
2023-06-30 10:15
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