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海の見る夢 №56 [雑木林の四季]

      海の見る夢
           ―ビワの実―
                  澁澤京子

 ジョージ・フロイドさん(米)が警察によって暴行され亡くなったのは記憶に新しいが、公務員による暴力はアメリカだけの問題じゃない。ウィシュマさんの死により、ようやく日本の入管施設の職員による暴力や暴言、監禁、いじめなどが明るみになってきた。インターネットの暴言が匿名性により過激になったように、なぜか入管施設の職員も匿名で働いているらしいが、それも余計暴力的になる一因になっているという・・

入管収容され自殺したクルド人男性、体調不良でも病院に搬送されず亡くなったベトナム人男性、強制送還させようとする職員に首を押さえつけられ空港で圧死したガーナ人、やはり病院に搬送されずに亡くなったカメルーン人、2005~2019年まで自殺を含め亡くなったのは17名。大声で腹痛を訴えれば(職員に迷惑かけた)と「不良」に認定されたり、歩けなくなり車いすに乗るほど衰弱していたウィシュマさんを入院させなかった入管。女子の独房には監視カメラがついていて、入浴や排せつまで映し出されるようになっているという・・こんなところに監禁されたら、精神的におかしくなるのは当然だろうに。

セクハラ、いじめ、暴言や暴力が頻繁に行われているようで、入管のルポを読んでいると本当に胸が悪くなってくる。「快適な場所だったら、早く日本から出て行かないから」と平気で追い出すための嫌がらせを正当化する職員もいるという。しかも、本国に送り返すときもその費用は自己負担・・そこには「人権」なんて上等なものはまったく存在せず、動物以下の扱い。本国で迫害され、生きるか死ぬかの思いをして逃げてきた難民、あるいはウィシュマさんのように日本の子供に英語を教えたくて来日し、パートナーのDVからなんとか避難してきたのに、保護されるどころか、さらに精神的にも肉体的にも迫害され追い詰められる・・まさか、日本の入管施設でこんな陰湿なイジメが行われ虐待死もあったとは・・しかも対象は、本国に送還されれば殺されるかもしれない、行き場をなくした弱い立場にいる人々なのである。メディアは、なぜこういう重要な問題を取り上げないのだろうか?今度の法案が通る事により、さらに本国に強制送還される外国人が増え、おそらく死亡者も出てくることを考えると全くやりきれない・・LGBT法案にしても、そもそもマイノリティの人権を守るための法案なのにそれを嫌う人々の権利??・・・・もう、むちゃくちゃな主張が平気でまかり通るのが今の国会。「自分の都合」と「自分の視点」しか持てない、想像力の欠如した人間が増加したとしか思えないのである。マイノリティの痛みというものは想像すらできず、自分の事のことしか頭にないのだろう。「同性愛を嫌う権利だってあるはずだ」という小学生並みの屁理屈で、それを法案で通すのだからあきれるしかない。(差別する人間って、明らかにその存在が多様性社会に反するのでは?)

こういう単純さで、法を自分都合で捻じ曲げてみたり、・・つまり他人や状況、具体的な物事の全体をつかむ能力の著しく欠如した単細胞人間が増えたとしか思えないのである。昨今の社会の分断と対立には、この「単細胞人間」の著しい増加が深く関係していると思う。単細胞な人間はどうでもいい細部にこだわり、全体を見渡す広い視野を持てない。全体を把握できないと、人間関係でも自分の都合しか考えられず、他人の都合や状況などは完全に無視される、要するに他人のことにも社会にも、基本的に無関心なのである・・

安倍(とその仲間たち)長期政権の弊害は大きい。彼のようなタイプの権威主義的人間は、仲間や身内の言い分は、どんなに滑稽な主張でも真面目に取り入れるが、それとは反対の意見にはいきなり耳が聞こえなくなるか、そもそも理解すらできないので無視・・になるのである。意見の内容などどうでもいいのであって、理性的な判断力を持てず、自分が影響力を揮える支配被支配の人間関係しか結べない。目上からの命令には従順にこなすことができるが、自分の考えや判断力というものはほとんど持てず、依存心が強く徒党を組むのが好きで集団になるや強気になり、そのくせ、一対一の対立になると案外大人しく、しかし、仲間の勢いを借りるといきなり傲慢になるような人物だが、入管にもそうした(個性のない)権威主義的人物が多いのだろうか。相手の立場が弱いとみるや、いきなり居丈高になったり、ヤクザのように暴言を吐いたり、暴力的になるのは得てしてそうした(田舎代議士なんかにいそうな)人物である。概して、普段は温厚な人物として通っている事が多いのである。もちろん、良心的な職員だって少なくないだろう、しかし、権威主義的人間は「親分―子分」的な支配被支配の集団を構築するのが得意で、小さな集団の中では往々にして、絶対的な影響力を持つ。

安倍長期政権の下、世の中にますます増加したものは(最初に結論ありきのみせかけ議論)(都合の悪い人間には汚名を被せる)(あからさまな論点ずらし)(ごまかし)(開き直り)(不都合な事実の隠ぺい)(都合が悪くなると誰かに責任をなすり付ける)(多数は力なり)(憶測と勝手な決めつけ)(短絡思考)・・などの悪習だろう。入管施設での事件は、決して、入管施設内だけの問題じゃないのであって、それを取り巻く世間の風潮とも関係が深いのだと思う。実際、(不都合な事実の隠蔽)のために、自殺者(赤木さん事件)まで出したではないか・・

表面的には温厚な日本人の、その裏側にある陰湿な暴力が浮き彫りにされているのが、この入管施設じゃないだろうか。アブグレイブ刑務所でイラク人捕虜を虐待した米兵は、ほとんどが生活のために軍隊に入った教養のない下層階級の人々だったが、入管施設の職員はおそらく大学を出た、表向きはごく普通の日本人だろう。経済的にさほど困窮しているとも思われないが、入管者への差し入れも職員が横領するケースもたびたびあるという・・

アメリカの差別は顕在化することが多く、差別問題として取り上げられやすい、また不正などを告発する勇敢なジャーナリストも多数存在するが、日本人の隠蔽された差別・暴力のほうが、見えにくい分だけ余計に厄介だと思う。そしてその差別は決して欧米人ではなく、私たちと同じアジア系、アラブやインド、南米やアフリカ系の難民という弱者に向けられるのである。実際、日本で難民認定されやすいのがウクライナ難民なのは、世界中のメディアで大きく取り上げられているからだろう。それに反してミャンマーなどアジア系、アラブ系、アフリカ系になると途端に態度を変えて厳しくなる日本の入管。そしてメディアは見て見ぬふり・・なのである。(この問題を取り上げるのは良心的なごく少数のジャーナリストだけ)メディアで取り上げられることが少なく、また、弱腰なので、調子に乗った国会議員がウィシュマさんの死の責任を支援団体の責任に姑息にもすり替えたり・・もういい加減、ごまかしはやめて自国の負の部分にも目を向けたらどうか。そうしないと経済が停滞しているうえに、ますます日本は民度もモラルも低い後進国になってゆくだけではないか・・「寄らば大樹の陰」の「大樹」そのものがすでに力を失いつつある今日この頃、個人が自覚して立ち上がるしかないのではないかと思う・・

イギリス46%、カナダ56%、アメリカ30%、フランス19%、ドイツ26%・・そして、なんと、たった0・4%というのが日本の「難民認定率」である。(2019 UNHCR)
ヨーロッパでは難民をめぐってさまざまな問題が起こっているが、たった0・4%の日本では、「多様性」どころか難民問題以前で、入管施設の職員の対応のひどさや、維新の梅村みずほ議員の愚かな発言など、つまり、この国の遅れているというよりは、ほとんど存在しないに等しい「人権」意識が大きな問題なのではと思う。なぜこんなに認定率が低いかというと、「犯罪者が紛れ込んでいる可能性があるから」という弁解らしいが、しかし、たった0・4%・・・むしろ、入管職員の行為のほうが酷い人権侵害、犯罪にあたるのではないだろうか。そもそも入管のルーツは法務省→戦前の特高になると聞いて、「・・なるほど」と思ったが。

同じ日本人ですら、ブラック企業では平気でこき使われるほどだから、日本の技術を習得に来たアジア系外国人がひどいいじめを受けたのは想像に難くない。木材で殴られ、犬の首輪をつけられて引き回されたベトナム人技能実習生・・残業代たった300円で一日中こきつかわれパスポートも貯金通帳も雇い主が取り上げ不当に労働させていた栃木県のいちご農家「とちおとめ事件」、トイレに行く度に「一分15円」を外国人労働者から搾取していた某大手自動車メーカー(愛知)の下請け業者・・とにかく、こうして書いているだけでも気分が悪くなってくるのはその内容があまりにも「野蛮」で「幼稚」しかも「陰湿」なおぞましいものであるからだ。まさに、文化果つるところの住人といった感じで、秘境に住む未開民族や裸族のほうが、まだずっと人間らしくて上品だろう。こうしたいじめや隠れた暴力・セクハラ・パワハラを行う彼らのほとんどは、表向きはごく普通の大人しい「日本人」と思うと実に不気味なのである・・個人のプライヴァシーをまるで見せしめのように公共に晒すかと思うと、本当に重要な、不都合な事実は平気で隠蔽する日本人・・何が重要で何が重要じゃないかの区別くらいはつけてほしい。ジャニーズを問題にするのなら、いじめや虐待事件を起こした中小企業の雇い主、日本人従業員の集団による「隠された暴力」も問題にしたらどうなのか。こうしてみると、戦時中の朝鮮人慰安婦の扱い、関東大震災の時のデマによる朝鮮人虐殺はさぞかし残酷で悲惨なものだっただろう・・としみじみと思うのである。
                          参考『国家と移民』鳥井一平
                            『ルポ 入管』平野雄吉

いつも、私は家にいる時、『ビルマの竪琴』の水島上等兵のようにインコを肩に乗せているが、インコを肩に乗せていたら不思議なご縁で、ミャンマー難民のための食事作りのお手伝いを頼まれ、週に一度、森の中の修道院に通うことになった。軍事政権の圧政に苦しんでいるミャンマーの人々。政治批判しただけで大学生が死刑になる国・・仏教国ミャンマーの人々は切実に言論の自由や民主化を求めている。しかし、今の日本は、とてもじゃないけど民主主義国のお手本にはなれないだろう、というのは、自民党の麻生太郎などが、ミャンマーの軍事政権と無神経にもつながったりしているからだ・・日本の政治家には、目先の利益しか見えないんだろうか?

最近の森の中の修道院で過ごす時間は、私にとって貴重な癒しの時。まだ若いミャンマーのお母さん、小学校一年の男の子K君、妹のYちゃんの二人が、人懐っこくて、とにかくかわいい。難民のために毎日駆けずり回っている若いMさん、年配の日本人シスター、韓国人シスター、フィリピン人シスター、みんなそれぞれ国籍も年齢もバラバラなのに、仲の良い家族のように食卓を囲み、生活しているのである・・善良な人が集まると、国籍も年齢も全く関係なく、黙っていても家族のような温かい関係になるのだな、と感動する。その中にいることがとてもうれしくて、ボランティアしているという気持ちはまったく起きず、まるでもう一つの温かいファミリーができた、という感じなのである・・

常に一人で静かに神に向かい、決して自分を見失っていないシスターたちと一緒に過ごしていると学ぶものは大きい。逆に、世の中には、いかに自分を見失ってごまかしている空虚な人間が多いかにも気が付く・・自分の芯というものをしっかりと持っている人たちが他人の心や痛みにも敏感な人が多いのは、芯を持つことによって全体を把握する能力を持てるようになるからだろう。

子供たちが寝る時間が、私が帰る時間。玄関から門まで暗い森の道を送ってくれた韓国人シスターが突然「あ、澁澤さんに渡すものあった・・待ってて」と言って、また家の玄関に戻っていった・・しばらく暗い門で待っていると、ようやく姿を現したシスターが私に渡してくれたのは、庭でとれたたくさんの小さなビワの実だった。なんだか小さな灯をたくさんもらったような温かな気持ちのまま、私は帰宅したのであった。

           

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