SSブログ

雑記帳2023-6-15 [代表・玲子の雑記帳]

2023-6-15
◆今年は国立極地研究所が誕生して50年です。

立川市の学術エリアには、裁判所や国文学研究所と並んで国立極地研究所の付属機関、南極・北極科学館ががたてられています。

近年の気候変動が人類の脅威の一つであることは誰もが認めるところです。
国立極致研究所は、そのような地球の今後の変化を知る上で、重要な極致の観測を行う研究所です。極致の氷床、海洋、地形、地質、待機などの変動を、様々なアプローチで捉える、極めて重要な施設なのです。
南極・北極極科学館は一般市民に開かれており、自由に見学することができます。
梅雨入りして間もない一日、南極・北極科学館を訪ねました。

南極北極科学館.jpg
DSC03076 のコピー.jpg

案内してくれた渡邊研太郎さんは。南極観測隊には夏冬3回、越冬隊にも会参加した経歴の持ち主。お父上も第一次南極観測隊の隊員だったという南極一家です。

日本が南極観測に参加したのは1956年、国際極致観測年に参加したことが始まりです。私が小学校6年の時でした。輸送船「海高丸」や観測船「宗谷」の名は今も鮮やかです。。

昭和基地は、大陸の中ではなく、大陸から少し離れた東オングル島に造られました。
戦後処理に追われていた日本は観測に参加するのが遅れたため、主要な観測地点は既に他国に占められていたのでした。距離的には資材や隊員を輸送するのに不利な地点ではありましたが、後にオーロラ観測には最も適した場所であることが分かりました。
当時は砕氷船の機能もまだ十分ではなかったので、氷に閉じ込められた宗谷は身動きできず、ソ連の砕氷船に助けられたことがニュースになりました。

物資を運ぶためには犬ぞりが使われました。第二次越冬隊が引き揚げる際、そりを引いたカラフト犬を島においていかざるを得なかったことがありました。1年後にオングル島に戻った第三次越冬隊が昭和基地で生き残っていたタロとジロを見つけた物語は日本中を沸かせました。

日本の南極とのかかわりは実はもっと前にありました。アムンゼンやスコットが南極点到達一番乗りを競っていたのとほぼ同じころ、白瀬 矗(しらせのぶ)が南極を探検しています。この時も樺太犬が活躍しました。

科学館の前には樺太犬と並んで白瀬中尉を顕彰するモニュメントがたてられています。
樺太兼のブロンズ像は、殉職したカラフト犬を慰霊するために動物愛護協会が当初東京タワーの入り口に設置したものを、のちにこちらの科学館へ移転してきました。観測には厳しい草創期があって今につながっていることを教えてくれます。

DSC03077 のコピー.jpg
カラフト犬
DSC03086 のコピー.jpg
白瀬中尉のモニュメント

館内の歴史のコーナーには白瀬中尉の犬ぞりや観測初期の雪上車が展示されています。観測が始まったころの防寒具も今よりずっと大げさでした。驚くのは猫が1匹、この子は越冬もしたそうです。

DSC03107 のコピー.jpg
白瀬中尉の犬ぞり
DSC03104 のコピー.jpg
観測船ふじになって初めて導入された雪上車
DSC03103 のコピー.jpg

こちら昭和基地
基地の模型です。中央左の3階建ての建物が管理棟で、食堂、調理場、医務室などがあります。黄色いのが通路棟で居住棟からブリザードの中でも管理棟に行けるようになっています。

昭和基地.jpg
昭和基地2.jpg

温室効果ガスを測定~
南極大陸の土の上2000mから3000mは氷床となっています。この氷床を採掘するために、ドームふじ基地が設営されました。ドームふじ基地は昭和基地から1000キロメートルはなれたところにあります。氷床掘削ドリルの性能をあげる開発も含めて掘削には何年もかかりましたが、2007年、3000mの地点の氷を採取することに成功しました。3000mと言えば72、000年前の氷の層です。採掘した氷床コアに閉じ込められた大気を分析することで、100万年間の気候変動を測定することができると期待されているのです。
この氷は極地研究所の冷凍室や北海道大学低温科学研所に保管されています。

DSC03091 のコピー.jpg
アイスコア採取のための氷床掘削ドリル

地球は人の手が加わらなければ約11万年周期で氷期と間氷期を繰り返しています。現在は氷河期の中でも最も暖かい時代、間氷期(かんぴょうき)ですが、あと何万年かで氷期に入ります。(中には2030年に氷期がやってくる、という研究者もいるほどです)しかし、人類がこのままCO2を出し続ければ氷期に入る前にもっと気温は上がるだろうと考えられます。

近年の地球気温の上昇は目覚ましく、北極の氷がとける様子がよくとりあげられます。北極は陸地ではないので海面上昇はおこりませんが、南極は大陸です。氷はその陸地の上にのっているのです。もし南極の氷が全部溶けたなら、海面は60m上昇するそうです。渡邊さんによると、その状態になるまでには1000年単位の時間が必要だということでしたが、1000年2000年先には今私たちが立っているこの場所も海の中です。

CO2を吸収するのは植物です。陸や海の植物は光合成でCO2を吸収して有機物を作り、海底や陸上に腐葉土のように蓄積します。これが石油や石炭になっているわけです。このバランスが崩れ多くのCO2が吸収されずに残るようになると大気中に増えていきます。吸収する植物が増えたり、吸収できる機械を作れるようになれば酸素が増えるようになるのです。

高層気象観測用ラジオゾンデ
気象観測のためのゾンデで、ヘリウムを詰めて高度30㎞くらいまで上げて、気温、湿度、風速などを測る機械です。世界標準時の0時と12時の1日に2回測り、そのデータが世界中から衛星を使って世界気象機関へ集まり天気予報などが出されます。
オゾンの観測をするための観測機器もあって、それをもとにオゾンホールがどのくらいなのかを観測してもいます。

DSC03101 のコピー.jpg

南極の生き物
46次隊と一緒に帰ってきたペンギンがいました。親とはぐれたのか氷山の割れ目に落ちて凍って転がっていたので、連れ帰り剥製となってここにいます。宗谷の頃に持ち帰った剥製もあり、内臓は南極では汚染物質がどれくらいペンギンに入っているかを研究している愛媛大学に提供されました。
アザラシの背中につけて調査する機器やカメラ映像も展示されていました。氷山は地上100mくらいありますが、アザラシはその下に潜っていくので氷山の底の映像を撮ることができるのでした。
大きな皇帝ペンギン、小さなアデリーペンギン、そしてメロという大きな魚もいます。クジラの餌となるオキアミの水中写真を撮ったのは渡邉さんです。

DSC03114 のコピー.jpg
DSC03115 のコピー.jpg
DSC03118 のコピー.jpg

南極の石
南極に来た月の隕石と火星の隕石など、様々な隕石が展示されています。
月は実際にサンプルがあり、火星は太陽の光の当たり具合でどんな物質が含まれているのかが分かります。成分から火星から来たと考えられるそうです。
日本隊は隕石の集まりやすい場所や集まるメカニズムを研究して論文を出しました。それを見てアメリカなどの科学者も隕石探査に参加してきましたが、一時期は日本が1番多くの隕石を保有していました。

DSC03111 のコピー.jpg

南極漁協  
南極で釣った魚を食べることもあります。地上1.5mくらいの厚さに氷が張っているのでいつもできるわけではありません。「明日は漁協やるぞ」と言って参加者を集め氷に穴をあけるドリルと餌を持って出かけます。10m、20mに糸を垂れると、20cmくらいの大きな魚がまず釣れます。それからだんだん小さくなっていきます。釣り上げると調理係にもっていきから揚げにしてもらいます。寄生虫も見えるので刺身は無理だということでした。

南極条約の三原則
  ①領土権主張をしない。
  ②平和目的以外に使用しないため軍隊の駐留を禁止する。
  ③環境を守る。
気温の低い南極には他地域のような微生物も存在せず、排出物も分解されないので、基地には浄化槽をもうけるなど環境配慮は欠かせません。そのほか、焼却炉や燃料が漏れださないように船体を2重にする、輸送方式をコンテナにし木枠を使い使用後に燃やすのをやめるなどの工夫をしています。

人類が早々と南極条約を制定したのはまれにみる英知だったと思います。南極から何かを収奪するという思想が見当たらないのが久し振りに覚えた感動でした。南極だけでなく、地球そのものに対してもそういう姿勢が必要だったのかもしれないと思います。私たちは持続可能な未来のために今できることを考えていかなければならないと強く感じました。




nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。