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武州砂川天主堂 №24 [文芸美術の森]

第六章 明治七年・八年・九年 6

            作家  鈴木茂夫

八月十日、武州・砂川村。
 「竹内さん、おはようございます」
 午前十時過ぎに、ジェルマンが道場に現れた。屈託のない笑顔だ。
 稽古着をつけた二三十人の子どもたちが竹刀をふるっている。
 寿貞は、子どもが竹刀で打ち込んでくるのを受け止めると、
 「横澤からまっすぐ来たのかい」
 「夕べは下壱分方に泊まりました」
 「きょうは何の用事」
 「私の用事は、いつも一つだけです」
 寿貞が少し意地悪く
 「その;だけの用事は何なの」
 ジェルマンには冗談が通じない。
 「神様の話をしたいのです。神様の話を聞いて欲しいのです」
 「ジェルマン、あなたの用事は分かっているよ。ところで誰に話すの」
 「ここにいる竹内さんの、生徒の子どもたちに、話をさせてください。とてもうれしいです」
 「なるほどね、君のことは、源五右衛門さんも知っているし、君の用事も分かっている。稽古が一段落したら、話をしてもらおう」
 ひとしきり、子どもたちが打ち合いに励む。
 寿貞が、        
 「よおし、稽古はそれまでだ。竹刀を片付けて正座しょう。これからこの神父さんが話をしてくれる」
 「みなさん、こんにちは。私はジェルマン・テストヴィド」です。」
 子どもたちは笑った。聞き爛れない口調だからだ。ジェルマンの日本語は、普通に話す限り、不自由ないのだが、口調だけは、外人特有のものだからだ。
 「私は、みなさんに一人の人のことをお話ししたい。イエス・キリストと言います。イエスは人ですが、神様でもあります」
 「その人、神様が人間に化けたの」
 一人の男の子が、不思議そうに声を出した。眼の大きい丸顔だ。
 「それはおもしろい質問です。あなたのお名前はなんと言いますか」
 「俺は島田角太郎、年は十二歳」
 「角太郎さん、化けたのではありません。神様には姿がありません。姿のないものを知るのは難しいです。ですから、神様は、たった一人の人を子どもとして、この世に送り出したのです。イエスは、人間の婆をした神様ですから、誰もが神様の言葉を聞くことができました」
 「なんだ、生き神様なんだね」
 角太郎が口をはさむ。
 「生き神様は、人間が神様になったのでしょう。でもイエスは、神様が人間の姿として送り出したのです。でも今は、生き神様と考えていてもいいですよ」
 「イエスって変わった人だね」
 「イエスの家族のことから話しましょう」
 子どもたちは、息をのんで話のはじまりを待つ。
 「今から二千年ちかい昔、ユダヤの国のナザレの町にマリアと言う一人の娘がいました。マリアは、親戚の若者ヨゼフのお嫁さんになることになっていました」
 「ユダヤの国ってどこにあるの。ナザレの町はどんな町」
 角太郎が質問する。
 「ここから西の方へどんどん行くのです。船に乗ると四十日ぐらいで着くでしょう。いいですか、ある日、神様のお使いである天使のガブリエルが、姿を現して『あなたは神様からお恵みを頂いたのです。あなたは男の子を産みます。そのこにイエスと名前をつけなさい。その子は偉大な人です』マリアは驚きました。マリアは天使に尋ねました。『私はお嫁にも行っていないのに、なぜ母親になるのですか』すると天使は答えました。『神様があなたにはたらいてあなたの体に神の子がおなかに宿ったのです』 マリアは答えました。『神様のなさるようにしましょう』その言葉を聞くと、天使は静かに姿を消しました」
 「俺は父ちゃんと母ちゃんの間から生まれたんだ。娘が勝手に母ちゃんになるってのは、分かんねえ」
 「角太郎さん、父ちゃんと母ちゃんの間から、子どもが生まれる。あなたもそうだ。私もそうです。でもまだ嫁に行っていないマリアに、神様がはたらいたのです。父ちゃんは神様。だからイエスは神様の子なのです。それからまもなくマリアはヨゼフのお嫁さんになりました。そのころ、ユダヤの人は、それぞれの生まれ故郷へ行って住民登録をしなければなりませんでした。ヨゼフとマリアは、遠くにある故郷ベツレヘムへ向かいました。ペツレヘムの町は、故郷へ戻ってきた大勢の人で賑わっていました。宿屋は混んでいて、部屋はありません。どうにか町外れの馬小屋を借りることができました。その夜、マリアは、男の子を産みました。ちょうどその時、近くの草原で、ヒツジを飼っている男たちがいました。突然、空が明るくなりました。みんな驚きました。すると神様のお使いである天使が姿を見せ、『人びとを救うお方が産まれたのだよ。みんなで、馬小屋の中で寝ている赤ちゃんを見てくるといい』と言って姿を消しました。ヒツジを飼っている男たちは、馬小屋を訪ね赤ちゃんを見たのです。ヨゼフとマリアは、天使が言ったようにこの赤ちゃんをイエスと名付けました。そのころ、ユダヤの国の東にあるベルシアの国から、三人の学者が、ユダヤの国の都エルサレムにやってきました。『私たちは、ユダヤの王が産まれたことを示す星の輝きを見たから、その子を拝みに来たのです』 三人の学者は、ベツレヘムで馬小屋を訪ね、イエスを拝み、帰って行きました。三人の学者の話を聞いた、ユダヤの王は、自分以外に、ユダヤの王が産まれたのは許せないと、ベツレヘムと近くの村にいる二歳以下の男の子をみな殺しにします。しかし、イエスは無事でした。ヨゼフの夢に天使が現れ、ヘロデ王が男の子を殺そうとしている。すぐにエジプトに逃げなさいと伝えたため、イエスと両親は、すぐさまエジプトに逃れたからです」
 「ウソと本当が入り交じったような不思議な話だねえ」
 角太郎が、つぶやいた。
 「そうです。不思議な話ですよ。これはウソのように思える本当の話なんです。私は、このイエス様を信じているのです。このあと、イエス様は、私たちに何が本当の生活なのか、私たちは、何を守らなければならないかを教えてくれました。そして不思議なことも見せてくれたのです。きょうはここまでにしておきましょう」
 声を出したのは、角太郎だけだった。他の子どもたちは、あっけにとられていた。

『武州砂川天主堂』 同時代社



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