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雑記帳2023-5-1 [代表・玲子の雑記帳]

2023-5-1
◆毎年受けている後期高齢者健康診断、血圧が少し高め、コレステロールは善玉も悪玉もほんの少し高めであるくらいで、例年さほど緊張することはありません。ところが今年、想定外の事が起こりました。

「赤血球の値が少し低くなっていますね。」
「だって、正常値内じゃないですか。」
「去年に比べて低くなっているのです。胃かどこかで出血しているかもしれない。念のため、検査してみましょう。」

胃の内視鏡検査の結果は、若干ピロリ菌はいたものの除菌すれば問題なし。
「検便で出血の陽性がみとめられたので、大腸の内視鏡検査もしましょう。」
大腸の内視鏡検査とやらは、2リットルもの下剤を飲まされるという話を聞いたことがある。めんどうなのは胃カメラの比ではない、いやだなあ。
余り褒めた生活習慣ではないにもかかわらず、何を食べてもおなかをこわしたことはない、便秘も殆どしたことがない、ことから、私は、胃腸に関しては妙に自信をもっていたのになんということか。

内視鏡検査で、大腸の入口におできがあることが判明、ここから出血している画像を見せてもらって、上行結腸癌という立派な癌であることが分かりました。自覚症状などなにもないのに。
「この周辺のリンパ節を含めて30㎝ほど切ります。」
「30㎝もですか。」
「大腸は5mもありますからそれくらい切ってもなんということはありません。」

癌がみつかってもちょいとひとかきすればいいくらいに考えていた私はうろたえました。
7年前の手首の骨折を除いて、この年まで、全身無傷が自慢だった。お産だって自然分娩だ。(ちなみに体育教師をしていた私の妹は2度の帝王切開、アキレス腱断絶をふくめ、満身創痍である。)
「それじゃあ、日帰りはむりですね。」
「切ったあとは縫わなくてはいけませんからね。まあ、2週間くらいみておけばいいでしょう。」
「2週間もですか!」

冗談ではない。2週間も入院などしたことがない。そんなに長く家を空けるとなると、留守中が心配だ。ポストに郵便物がたまると不用心だ。 新聞は止めてもらわなくては。予定はみんなキャンセルしなくてはならないではないか。。大事な用事だってあるのに。
「これだけは出席したいのです。近くなので病院を抜けだすことはできませんか。」
「その年齢で、キャンセルできないほど重要な案件などありませんよ。」

4月11日
事前の検査やらなにやら、嵐のような日が過ぎて、人生初体験となる入院日をむかえる。
指定の時間にサポートセンターへ出向いて入院の手続き、5階のスタッフステーションにつくと、早速病院指定のパジャマに着替えさせられ、何となく病人ぽくなる。そういえば男性の看護師の増えた病棟ではスタッフの詰め所をナースステイションとは言わないのだ。ナースはウエイトレスやホステスと同様、もはや死語なのかもしれない。老害ばかりの永田町を後目に現場はどんどん変化している。
夜は手術前の最後の晩餐を味わって食べる。

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大腸カメラ食(全粥・煮込みハンバーグ・かぶ煮物・ツナサラダ・フルーツ)

4月12日 
朝から絶食。下剤リフレクスを2リットル飲んでおなかをきれいにする。
午後、付き添いの娘と一緒に手術の説明を受ける。コロナ下で面会禁止はつづいているが、この時ばかりは付き添いが必要だった。担当は30代の美人の女医さんである。一人で十分といったのに息子まで駆けつけた。日頃元気な親が癌と聞いて相当あわてたらしい。
腹腔鏡手術で、切り取る部分を取り出すための臍周辺も含めておなかに4か所穴を開けるという。開腹手術に比べれば格段に体に負担が少ないのだそうだ。

4月13日 
歩いて手術室に向かう。
麻酔と痛み止めの点滴は脊髄から。「あなたは背骨がまっすぐではないのでちょっと針をさす箇所を探ります。ダンゴムシになってください。」と言われて、足をまげ、肩も丸めてクラウチングスタイルをとったら、それは違うと、おもいきり肩を元に戻された。
「だってダンゴムシと言ったじゃないですか。」
「頭を下に傾けておへそを見る感じです。」
「なら、最初からそう言ってよ。」
まだ麻酔がきいてくる前だったから言いたいことを言う。後で知ったところでは彼女はダンゴムシのたとえを自分ながら気にいっていたらしい。それにケチをつけられたのではいい気はしなかったにちがいない。
目が醒めたら集中治療室にいた。ダンゴムシの痛み止めが効いてなんの苦痛もない。
ただ、痰吸入のために喉に挿管した後遺症か、声がでない。輸液の天敵は首からである。

4月14日
点滴をつけたまま集中治療室を出て病室へ戻る。大きな手術をしたとは思えないほどリラックスしていた。
尿管を外して、自分でトイレに行けるようになる。
リハビリ始まる。最初はベッドで足を動かすところから。療法士のお兄さんはマスク越しのイケメンである。コロナになってマスクのお陰でみんな美男美女だ。

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点滴の痛み止めが入っている袋 自分でボタンを押して自由に使える。

4月15日
痛み止めの点滴を外す。「痛いのを我慢できなくなったらいつでも言ってくださいね。」看護婦さんはやさしく言う。
深夜、急に気分が悪くなってトイレでしゃがみこんだ。駆けつけた看護婦さんが血圧をはかったら上が74だった。ほうほうのていでベッドに戻り、横になっていても心臓はパクパクするし、胃の辺りはむかむかする、とにかく内臓がひっくり返るような猛烈な気分の悪さだ。でも、これは痛みではない。看護婦さんをよんでもいいものか。患者初心者の私はいちいち言葉に引っかかる。そうこうしているうちにトイレに行きたくても起き上がれなくなった。痛みではないが看護師に頼るしかないと、ナースコールを押した。
頓服を貰って漸く眠る。

4月16日
3時間ほど眠って朝になり、だいぶん楽になっていた。医師の指示で胸のCTをとったが、血栓は見当たらず、昨夜の苦痛の原因は医師にもわからなかった。
声はまだ出ない。手術は成功したのに、声が出なくては社会復帰はできないのではないか。何かの会議に出て即座に意見が言えないようでは困る。世間はまだまだ、あんな人しか出せないのという目で見る。「その年では責任を持たなくてはいけない仕事は受けないほうがいいですよ。」と、分別ある言葉がきこえそうだ。そろそろ年貢のおさめどき?と、はじめて気弱になる。

4月17日
輸液の点滴がはずれ、術後はじめての食事が出た。絶食機関は丸5日間だった。記念すべき最初の食事は重湯100gと具のない味噌汁だった。

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術後はじめての胃消化食流動は朝・昼・夕とも重湯と具のない汁・ヨーグルトorジュース

麻酔の先生は私がまだ声が出ないのを心配している様子だ。この先生も女性だ。挿管の際、のどぼとけ近くの腓骨軟骨が脱臼したらしい。「あなたは喉が細かったので、ちょっと苦労したんですよ。」よくしゃべること、よく笑うこと、よく食べることを勧められた。
そうは言っても、誰と喋ればいいのだ。看護師さんは忙しくて声かけもしてくれない。
一番喋った相手はリハビリのお兄さんだ。動く度に血圧をはかり、「大丈夫ですね」と、ちゃんと教えてくれる。看護士さんは検温しても血圧測っても黙っていることが多かった。患者は知る必要がないとでも思っているのだろうか。確かに、患者が知ったところでどうなるものでもないのだ。それに、リハビリは療法士の領域だから、お互いにテリトリーを侵さないような仁義があるのかもしれない・・・。

4月18日
重湯から五分粥になる。食事の合間、補色と称して、10時と3時におやつが出る。日替わりのおやつは患者の楽しみだ。Ca添加のジュースはいかにも病院らしい。
相変わらず声は出ない。これは耳鼻科の領域なので、退院後は大学病院の耳鼻咽喉科を受診するよう勧められるが、これ以上病院はご免だと、夜中に喉に力を入れて必死で声を出す練習をした。声を出すには腹筋の力も必要だとよくわかった。

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胃消化5分菜 五分粥・白身魚みそマヨ・南京含め煮。キャベツ煮びたし
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10時のおやつ
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3時のおやつ

4月19日
経口食になって初めて大きいのが出た。色は明るい黄土色、するりと柔らかくて、いかにもできたてのようだった。腸がよくがんばっているのだと思えた。
夜中の練習のお陰か、かすれたりうらがえったりするものの、僅かに声が出るようになった。
リハビリ室でエアロバイクを10分こいだ。
子育て中、車のない我が家で、3人の子供を前と後ろに乗せて走り回っていたので、自転車には自信がある。しっかりこいで、退院後自転車OKのお墨付けを貰った。
五分粥から全粥になる。
退院が21日に決まった。万歳、予定より早かった。

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胃消化食(全粥・エビ野菜うま煮・冬瓜あんかけ・ツナサラダ・フルーツ)

4月20日
リハビリも今日で終わり。最後に、長い階段を上り下りして病院の外へ出る。パジャマ姿でお兄さんと一緒に病院の周りを一回りして、久し振りに外の空気を吸う。風が心地よい。
入院中、外科の手術が進化しているのに感心したが、リハビリの進化も目覚ましい。
宙を歩くようだった足取りが数日の間にちゃんと大地を踏みしめられるようになった。
領域が違うと言って紹介してくれた言語リハビリ士さんは、かすれ声でとりとめもなくしゃべるのを辛抱強く聞いてくれた。

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胃消化食(全粥・のしどり・チンゲン菜中華炒め・サラダ・フルーツ)

4月21日
朝食後の回診時に抜糸をして退院。何とか電話でタクシーが呼べるまでに声は回復していた。友達に来てもらってお茶するのも良いリハビリだと教えられた。
11日間の入院費用は手術、検査も含めて7万円弱。自己負担の限度額を超えた分はあとで戻ってくる。日本の医療制度はまことに優れた制度だ。アメリカに住んでいた友人が鼻血を出して病院へ行ったら200万円請求され、定年後永住するつもりでいたのが、恐れをなして日本へ帰ってきたのを思い出した。
留守中、娘夫婦が何度か家を覗いてくれていたのは有難かった。家は人の気配があってこそ。ひとりぐらしになれてすっかり忘れていたが、家族がいる有難さが身に染みた。

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最後の朝の食事 鯖、赤魚など魚がよくでたが、この日もメインは鱈の煮つけだった。



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