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雑記帳2023-4-1 [代表・玲子の雑記帳]

2023-4-1
◆毎年3月には全国各地で雛祭りが開かれ、どこかにお雛様を見に行くことにしている人は多いのではないでしょうか。私もその一人です。今年は丸の内静嘉堂美術館で、岩崎小弥太邸のお雛さまを楽しみました。

静嘉堂は、岩﨑彌之助(彌太郎の弟、三菱第二代社長)と岩﨑小彌太(三菱第四代社長)の父子二代によって創設・拡充され、現在、国宝7件、重要文化財84件を含む、およそ20万冊の古典籍(漢籍12万冊・和書8万冊)と6,500件の東洋古美術品を収蔵しています。

1892年(明治25)東京駿河台の岩﨑彌之助邸内に創設された文庫は、1924年には世田谷区岡本の地に独立した建てものになり、長く愛されていましたが、創設130年を期に、2022年から丸の内の明治生命館に移り、1階で展示活動をはじめています。三菱1号館のある丸の内一帯は、かって三菱が原と呼ばれ、彌之助が開発したオフィス街です。文庫がそこに移るのは本望だったのかもしれません。

岩崎家の雛人形は小彌太がたか子夫人の為に京都の人形師に特注したものと言われています。注文を受けたのは名匠の名も高い五世大木平蔵。おぼこ雛と呼ばれる、子ども仕立ての稚児雛です。木彫りに胡粉塗の仕立てで、歯は象牙、衣装は皇太子御成婚の設定という贅を尽くした作りで、天下の人形師・大木平蔵が3年かけて製作しました。昭和初期の人形製作技術の粋を集めた美術品だと言われています。着物や道具には。岩崎家の家紋である花菱紋がはいっています。大ぶりの内裏雛のサイズは男びな30.cm、女びなが25.5cm。ふくよかで、愛らしいお人形でした。

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岩崎邸のお雛様さまのポスター
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ふくよかなお顔の昭和の内裏様
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三人官女
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随身
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お道具の「一部(花菱紋が見える)
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楽器の一部

ひな人形と同時に展示されていたのは、静嘉堂の誇る窯変天目でした。
天目とは、中国の天目山一帯で焼かれた茶碗の総称。南宋時代、日本から多くの留学僧が修行の為に天目山をおとずれていました。茶碗を焼くことも修行のひとつだったのです。
中で、窯変は室町時代に唐物茶碗の最高位に位置づけられています。窯変天目は現在世界にわずか三碗しか存在せず、全て日本にあります。釉薬の奇跡と言われて、国宝に指定されています。

漆黒の器の内側には星のようにもみえる大小の斑文が散らばり、斑文の周囲は暈状の青色や青紫色で、角度によって玉虫色に光彩が輝き移動する。両手の中にすっぽりおさまってしまうほどの小ささながら、「器の中に宇宙が見える」とも評されるのです。

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窯変天目(絵葉書より)

この窯変天目にはエピソードがあります。
3代将軍徳川家光が病に伏す春日局を見舞った際にこの茶碗を下賜して薬を飲ませようとしたが、家光の疱瘡平癒祈願以来、薬を絶っていた春日局は飲まなかったと言います。その後、茶碗は春日局の直系の孫である稲葉正則蔵となりました。別名を稲葉天目と呼ばれる所以です。大正に入って稲葉家の縁戚小野氏のものとなった後、1934年(昭和9年)に小彌太にゆずられたのですが、小彌太は生前、一度も使うことはなかったそうです。「名器を私に用うべからず」という小彌太の言葉が残っています。
小彌太自身、東洋文化に深く傾倒し、表千家で茶の湯も習うなど、経済人であると同時に優れた教養人でもありました。彼の「私」せず自身を律する姿勢には心を打たれます。

静嘉堂文庫の入る明治生命館は、1934年(昭和9)に竣工し、古典主義様式の最高傑作として高く評価されて、1997年(平成9)に昭和期の建造物としては初めて、国の重要文化財に指定されました。 意匠設計は東京美術学校(現 東京藝術大学)教授であった岡田信一郎。1945年(昭和20年)9月12日から1956年(昭和31年)7月18日までの間、アメリカ極東空軍司令部として接収され、この間、1952年(昭和27年)まで2階の会議室が連合国軍最高司令官の諮問機関である対日理事会の会場として使用されました。マッカーサー総司令官もこの会場で開催された会議に何回も出席しています。
皇居が目の前にある、ロケーションも抜群の建物です。

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明治生命観全景
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明治生命観正面
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明治生命観の眼のまえは皇居のお堀

先述の三菱一号館を設計したのはジョサイア・コンドルです。かってのオフィスビルは今美術館となって、います。静嘉堂文庫美術館と合わせて、今、丸の内は、三菱が夢見たアートのある街になっているのです。

◆『知の木々舎』創刊時から『言葉遊び入門』や『こふみ会句会通信』を届けてくださっていたコピーライターの多比羅孝さんがなくなりました。60年代、一世を風靡したコピーの数々を世に出した多比羅さんと親交が続いていた鈴木茂夫さんが多比羅さんを偲ぶ弔文を寄せてくれました。ご本人の了解を得て、ここに掲載します。

多比羅孝兄を偲び
                       鈴木茂夫
 あなたの訃報に接し、深い悲しみを感じています。春代奥様はじめお子様の思いはいかぱかりかと推察しています。
 鎌倉時代の中期、13世紀に一遍上人は、南無阿弥陀仏・決定往生六十万人と書かれたごく薄い板を民衆に配り、極楽往生を呼びかけました。これがコピーライトのもととも言えます。
 さらに江戸、明治・大正時代の引き札にコピーライトの草創を見ることができます。
 今日に残されている引き札にはさまざまな商店の広告文案が記されていたのです。
 日用品、たばこから店の開店,改装などに使われています。また引き札には山東京伝、滝沢馬琴、十返舎一九、
仮名垣魯文、河竹黙阿弥などの文人も筆を染めています。
 あなたはこうした歴史の流れを汲んでいます。
 戦後のマスメディアが勃興していく時代のなかにいました。いまではコピーライターという職業は、マーケティングの主要な職種とされています。しかしそこにいたる道筋は容易なことではありませんでした。あなたはその先駆けとして道筋を切り開いたのでした。
  あなたは慶應義塾文学部を卒業されて株式会社小林コーセーに就職、宣伝・広報を担当して実力を身につけられました。同じ社内の春代様と結ばれ、素晴らしい家庭も創られました。
 そして広告集団を組織して独立、活躍されました。
 コピーライターという呼び名も、あなたと仲間たちの仕事の実績から認められていったのてした。
 あなたの制作した名キャッチ・コピーを思い出します。  

      きょうも元気だ たばこがうまい
       タバコは生活の句読点   

  あなたを世間が認めた心に残るコピーです。
 あなたは後に続く人たちのために著作を出されました。  

   コピーライター入門―ベテランから新人へ贈る
   実戦派コピーライター教室 
   だれでも上達 ビジネス文章作成術
   メモ式 気のきいた文章の書き方 

   これらの著作には、コピーライターとは何か、何を書くのかがわかりやすく述べてあります。多くの読者に歓迎されました。
 私が責任を持っていた東京・原宿のパレ・フランスの広報をお願いしました。すると、地下鉄表参道駅の6枚の壁面広告面に、あなたは自作の詩を掲載しました。柔らかい文面は地下鉄乗客の中から,褒めてもらました。
 私はテレビ・ニュースを専門としていたことから、あなたの業績の肝心なところが分かりませんが、そのお仕事ぶりには感嘆していました。
 仕事の現業から離れ隠居になり、インターネットマガジン・知の木々舎に、俳句のこふみ会を連載して頂くことになりました。才気あふれた方たちの句会です。もう117回にもなりました。     

      肩寄せて二人でいます二月です     
     美しき人帰り行く春の泥         
     ものの芽が突き上げている空がある       

  これがあなたの最期の句です。いつもの泰然たる作風の句となっています。     

       小町飛び 法師も跳ねて 歌留多取り  
       金目鯛で  呑んだのが最後  だったなあ  
       子らを噛む 獅子にもマスク お正月 
       多様性を 認めぬ国に 春は無く    

  これは2月の作品です。あなたの笑顔が見えてくるような雰囲気です。
   今やこれらの句を拝見して、あなたを懐かしむよりしかたありません。
   空白の時もかなりありますが、あなたに兄事し、お世話になった日々を懐古します。


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